今回も番外編。
土木遺産の聖橋とその周辺を散策しました。
それでは、
土木遺産「聖橋」
土木学会推奨土木遺産の橋です。
橋は、都内で8つしか指定されていません。(2020年1月現在)
1927年(昭和2年)3月に竣工とのこと。
鉄骨コンクリートアーチ橋です。
関東大震災の復興橋梁として建設されたそうです。
現在工事中で、西側はシートで覆われて形状は確認できません。
橋の下に、御茶ノ水駅のホームがあります。
地上に姿を見せてくれます。
江戸時代に開削された神田川
総武線の水道橋駅から御茶ノ水駅辺りの風景はちょっとおかしいですよね。
神田川の両側が切り立った崖になってます。
その南側を総武線が走っています。
水道橋駅駅は、高架の駅になってます。
それが御茶ノ水駅のホームは地面からすると下にあります。
さらに秋葉原駅の方に行くとまた高架になっています。
どういうことなのでしょう。
ちなみに、水道橋駅のホームも御茶ノ水駅のホームも標高10m程です。
そうなんです。総武線自体はあまり登り下りしていないんです。
高低差が分かるように作ってみました。
駿河台を削って出来たというのが、はっきりわかりますね。
範囲を広げるとこんな感じになります。
以前にも書きましたが、
江戸時代に駿河台を開削して神田川を流しているんですね。
1620年に駿河台を開削して平川放水路(現在の神田川)が作られたそうです。
その後、1660年頃には、拡幅、河床浚渫され、船の運行が可能となったようです。
当時の鉄道の状況
注意!
この段落は、鉄道に興味が無い人は、飛ばしてください。
日本の鉄道の初まりは、新橋・横浜間というのは有名ですよね。
1872年1(明治5年)のことです。
何と明治維新から僅かの頃!
でも、その後は、民間会社が中心になって鉄道網が整備されていきます。
日本鉄道という会社が、1883年(明治16年)7月に、上野から熊谷駅間を開業させました。
そして、1885年(明治18年)に、品川駅と赤羽駅間を開通させました。
でもこれは、現在の京浜東北線の方ではありません。
品川から渋谷駅、新宿駅、板橋駅、そして赤羽駅いうルートです。
この日本鉄道の新宿駅を始発駅として甲武鉄道いう会社が、現在の中央線を造りました。
1889年(明治22年)4月に、新宿-立川間を開業させて、
8月には、八王子まで延伸させています。
ちなみに、当時の鉄道の整備の目的は、
人を運ぶのでは無く、貨物輸送が主な目的なんですよ。
そして、新宿から東の方ににも鉄道を伸ばしていたんです。
そして、まだ、東京駅も出来る前に東へ線路を伸ばしていったんですね。
1894年(明治27年)10月には、新宿-牛込駅間を開業させてます。
牛込駅は、現在の飯田橋駅ですかね。
1895年(明治28年)4月に飯田町駅という駅が出来ました。
当時は、下のような路線となっていたようです。
飯田町駅は、貨物駅として昭和期までありました。
現在は、ホテルメトロポリタンエドモントとなっている辺りです。
甲武鉄道は、1904年(明治37年)12月には、御茶ノ水駅まで伸ばしました。
しかし、1906年(明治39年)10月に鉄道国有法により、甲武鉄道は国有化されてしまいました。
その後は、国の事業閉じて引き継がれました。
昔は駅だった昌平橋
下の写真で、丸ノ内線の先に、秋葉原駅に向う総武線の橋があり、
下の写真は、昌平橋です。
右手の煉瓦造りの建物の上を中央線が走っています。
下の写真は、昌平橋の親柱です。
立派ですよね。
右上は、秋葉原方面に行く総武線。
左手中央が神田駅方面に行く中央線。
そして、奥には、聖橋が見えます。
御茶ノ水駅からは下ってきていることになります。
鉄道は、急な傾斜は不得意ですから、昌平橋辺りでは高架になってしまいます。
昔は、この高架になっているところは駅だったそうです。
1908年(明治41年)4月に、仮停車場として紅梅河岸高架橋上に昌平橋駅が作られたました。
今も、「紅梅河岸高架橋」という表示が残っていました。
下の写真は、昌平橋駅だったところです。
煉瓦造りで、現在はレストランなどに使われています。
凄く、素敵ですよね。
煉瓦のデザインもおしゃれですよね。
全く時代を感じさせません。
でも、1912年(明治45年)4月に万世橋駅が延伸開業され、
仮駅の昌平橋駅は廃止されたとのことです。
僅か、4年の駅だったのですね。
そして、関東大震災で煉瓦造りの建物が大きな被害を受け、
その後、煉瓦造りはだんだん消えていってしまいました。
それでも、
紅梅河岸高架橋は中央線として生き残り、
現在も活用されているんです。
御茶ノ水橋と都電の線路跡
最後に御茶ノ水橋です。
1931年(昭和6年)5月の完成です。
橋の補強工事中に表層のアスファルトをはつったところ、
旧都電の錦町線の線路跡が出て来て、今、話題になってます。
石畳みと線路がはっきり。
何気なく通っている道の下に、歴史があるんですね。
あらためて、実感しました。
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
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訪問日:2020号2月1日(土)
よかった、そちらも覗いてください。