新宿にあった赤線・青線エリアの名残りを探す、その2です。
その1で書いた赤線エリアを把握する前にウロチョロしました。
ウロチョロと歩く
場所はこの辺りです。
戦後のこの辺りの変遷を航空写真地図でみてみましょうね。
それではウロチョロして撮った写真です。
あるんですよ、いい裏道が。
ほらね!
先に進み角を曲がって、ちょっと大きな道に出て振り返って見るとこんな感じです。
このちょっと大きな道の両側もこんな感じです。
これも。
反対側(西方向)も。
面白いことに気づきました。
この魅力的な店はすべて赤線エリアの外なんです!
そうです、青線って呼ばれていたところです。
前回に載せた赤線エリアの地図です。
赤線は、廃止されました。そして特殊飲食店も姿をほとんど消してしまいました。
さらに、大きな道路が整備され、小さな区画がまとめられて大きなビルが建てられたり。
新宿の赤線エリアは変貌してその名残りも消えています。
しかし、青線は元々法的には根拠が無いんですよ。
ゴールデン街もそうですけど、青線エリアでの特殊飲食店的な行為はそもそもが違法(と言うと言い過ぎかな)だったので、昔から上手に生息していたのでしょう。
そして今まで、形をかえて飲食店として生き残って来たのではないでしょうか?
ワーカーなどの癒やしの店として。
航空写真地図
最後に戦後のこの辺りの変遷を航空写真地図でみてみましょうね。
今は新宿通りとなっている宿場町新宿がどのような景色だったのか想像してください。
明治通りが出来たり、小さな建物が大きなビルに変わっていっています。
靖国通りなどの大きな通りに面して大きなビルが出来て、その後区画の中も小さな家が消えていっています。
この航空写真地図を見比べるだけで楽しい時間を過ごせますよね。(多分、賛同して頂けると思いますけど)
今回のブログは、三橋順子さんの『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日新聞出版、2018年10月)と言う本を参考にさせていただきました。
廓や赤線エリアなどに興味を持ってらっしゃる方、なかなか読みごたえがありますよ。
と言うことで最後までお付き合いいただきありがとうございました。
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものである。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)
写真撮影日:2021年5月9日(日)
今日も最後に宣伝です!
不動産会社や商業系を目指す学生さん、就職面接に役立つかも知れませんよ!
「これからの社会はどのようになると思いますか?」
といった面接の方からの質問などへの回答の参考になると思います。