永代橋を眺めながら、隅田川のほとりの三等三角点「ニノ橋」

  

隅田川を眺めながらの三角点「ニノ橋」

 

今回は、三等三角点「ニノ橋」

 

工事中の永代橋を渡り、江東区側に。

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 隅田川の歩道は整備されて、散歩やジョギングには快適である。

でも、夏は陽射しを避けるところが少ないので要注意。

 

河口方面を見ると斜張橋大川端リバーシティのマンション群。

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 堤防の脇の公園の中に標石と保護石があった。

周りが芝生で、すぐに見つけることができる。

 

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三角点と大川端リバーシティの組み合わせがいい絵になったと一人で満足する。

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これは、モノクロで。

 

 

話しは変わって、隅田川について一つ

 

隅田川について書こうするとあれもこれもと終わらなくなってしまう。

 

一つだけ、永代橋の大事件を。

 

幕府は、隅田川への架橋を千住大橋しか認めてなかった。

しかし、明暦3年(1657年)の大火の際、橋が無く逃げられず多くの死者を出した。

その後、両国橋、新大橋、そして永代橋が架橋される。

 

文化4年(1807年)に深川富岡八幡宮の祭礼が行われた。

江戸中の老略男女が永代橋を渡って深川にやって来た。

その群衆の重みで橋が崩落してしまった。

そうとは知らず、次々と群衆が橋に押し寄せ、多くの死者が出てしまった。

 

明治になり、鉄製の橋に掛け替えられた。

が、関東大地震で 破損、現在の永代橋は、その後の復興事業として造られたものである。

橋の長さ185m、幅員25m。

大正15年(1926年)に架けられたアーチ橋がまだ、現役で活躍している。

 

橋長 184.7 m
幅員 25.0 m
着工 1923年(大正13年)12月
竣工 1926年(大正15年)12月20日

 

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このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。

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三等三角点 「ニノ橋」

東京都江東区永代1丁目1−11付近  永代公園内

訪問日:2019年06月1日

 

 

追記

 

2019/07/03  日本経済新聞の記事  「隅田川の10橋  長寿の知恵」

(以下、記事より抜粋)

 

隅田川には関東大震災の復興期に架けられ、竣工から90年前後になる歴史的な橋が10橋ある。

最も古いのは1926年(大正15年)に完成した92歳の永代橋

アーチ橋の永代橋とつり橋の清洲橋は対をなすデザイン性に優れ、いずれも国の重要文化財に指定されている。

現在、東京五輪に向けてライトアップ工事をしており、鮮やかな夜景に浮かび上がる姿を眺めることができるだろう。

橋の老朽化が各国で課題になっている。

イタリアで2018年、完成から50年経過した高速道路橋が落ち、

米国では07年にミシシッピ川にかかる竣工40年の橋が崩落した。

隅田川の10橋はなぜ丈夫なのか。

市電を通す設計で荷重を計算しているため、自動車用の橋としては余裕がある。

都の調査によると、橋脚や橋台はその設計強度を大幅に上回る強度があった。

しっかり詰まった川砂を使うなど骨材が良質で、施工も丁寧だったという。

橋脚の表面に張った花こう岩がコンクリートをカバーし、塩害もほとんど進行していない。

メンテナンスもきっちりしている。

劣化した部品を交換するほか、制震装置の設置を進め、首都直下地震が起きても橋の機能を維持できるように。

都建設局は隅田川の橋について「未来永劫(えいごう)残したい」と語る。

国交省によると、全国にある道路橋は約73万橋。

完成後50年を超えるのは18年に25%だったが、23年に39%、33年は63%。

高度成長期以降に造られた橋の老朽化が急速に進む。

この対策に隅田川の橋での智恵が生かされることを期待したい。