地図と言えば、伊能忠敬
伊能忠敬と言えば、世界の地図の歴史に金字塔を打ち立てた。
伊能忠敬については皆、周知の通り。
三等三角点「富岡八幡宮」
三等三角点「富岡八幡宮」 。
その伊能忠敬像の脇にある。
表示杭も保護石もないが、ここしか無いのではというガードである。
地形は
隅田川を永代橋で渡り、それを進んで行くとここ富岡八幡宮になる。
富岡八幡宮の辺りは、江戸の初期はまだ浜であった。
まず、小名木川の開削で千葉方面からの物流ルートが確立された。
明暦3年の大火(1657年)以後、江戸の拡大にあわせ隅田川(大川)東側が本所・深川は発展していくこととなる。
縦横に掘が作られ、水運のインフラが整備せれていく。
江戸時代中期の海岸線
「江東区のあゆみ ー江戸から平成ー」(江東区政策経営部広報広聴課)より
これは、東陽町にあった、ゴミ入れ。
このようなゴミ入れも、いずれ姿を消していくことになるのだろう。
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)
三等三角点「富岡八幡宮」 (江東区富岡1丁目23ー13 富岡八幡宮境内)
訪問日:2019年6月1日(土)