三等三角点「下練馬」
西武池袋線の練馬駅と桜台駅の北側に区立開進第二小学校がある。
その校庭に、三等三角点「下練馬」がある。
土曜日ではあるが、正門は空いており、子供たちや親と思しき人が出入りしている。
インターホーンで、目的を告げた。
管理の方が出てきていただいた。
これまた、
「えっ、三角点が校庭にあるんですか?」
と興味深々。
個人の趣味にもかかわらず、親切にも 同行し、撮影に協力していただけた。
感謝。
「あそこの滑り台の先にあると思うんです。」
一緒に行くと、コンクリートの四角いそれらしきものが。
標石の上部は土で見えないが、事前の調査からこれだと確信。
土を払うと標石の上部が現れた。
もう少し、土を綺麗に払いたい、
標石の側部も確認したい、
という思いがあったが、管理の方からあまり時間を要しないとのことでの撮影協力であったので、断念。
三角点は、滑り台の先の砂場の先に。
三角点から校庭を望む。
左手が校舎、運動場を挟んで右手奥に体育館。
管理の方に、撮影を終えて挨拶に行った。
すると、三角点がどこにあるという情報はどうやって見つけるのか質問を受けた。
国土地理院の基準点成果等閲覧サービスについて説明を行い、お礼を述べ失礼した。
管理の方、本当にありがとうございます。
練馬区と言えば、石神井川
小金井公園辺りから、西東京市、練馬区、板橋区、そして最後は、北区で隅田川に合流する。
個人的には、練馬区の中央を東西に横断する川とのイメージである。
石神井川の南には、玉川上水から分岐した千川上水が尾根沿いを走っている(と思う)。
川の流れは、いつ、どうして変わった
その石神井川は、色々な議論を起こしてきた。
その最大は、流路変遷である。
下の高低差地形図を見てもわかる通り、王子駅の辺りが台地が狭くなっている。
そこを抜けて隅田川に注いでいる。
しかし昔は、この台地を超えず、流路を南東方向に変え、不忍池の方に流れていたという。
そこで、いつ、どのようにして
流路変遷というか、河川争奪があったのかという問題となる。
これについては、多くの記事があり、また、miwaさんが「散歩の途中」で詳しく書いてあるので、どうぞそちらへ。
明治期の石神井川
国土地理院のHPには、色々な主題図がある。
その中で、明治期の低湿地図がある。
下に並べたのが、それである。
よく見ると、現在の石神井川と明治期の石神井川は少し移動されている。
先ほどの流路変遷とまではいかないとしても、
川の氾濫や豪雨時の流量の確保などのために付け替えが行われたと思われる。
該当地に住んでいたり、店や工場などを持っていた人には大きな出来事だったのではと思うわけである。
荒川の西遷、利根川の東遷、そして、荒川放水路、江戸川放水路などの大規模な河川の付け替えや開削は、当然、多くの人の生活を変えることになる。
ゲリラ豪雨対策などの治水のために、
石神井川も付け替えがなされてきた。
しかし、この一見、わずかな川の付け替えも、
そこで生活をしていた人々には大きな出来事であったはずである。
三等三角点 「下練馬」
練馬区桜台5丁目10 区立開進第二小学校敷地内
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)
訪問日:2019年7月20日(土)