今年最初の三角点訪問は、まずは一等三角点にしました。
まだ、23区内の三角点がコンプリートしていないけど、
一等三角点「三鷹村」。
一等三角点「三鷹村」
令和2年最初の三角点訪問は、一等三角点「三鷹村」。
「三鷹村」というくらいなので、設置されたのは相当古い訳ですね。
三角点の脇の説明書きを読むと以下のとおりです。
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この一等三角点、は、1925年(大正14年)に東京天文台(国立天文台の前身)
構内の東西の中ほど、北端近くの塀の中に設置され「三鷹村」と名付けられました。
1923年(大正12年)の関東大震災が起きた際、東京都港区麻布飯倉の日本の
測地学上の経緯度原点(東京天文台のメルツ・レプソルド子午線のあった位置)が
失われることが心配されました。
そこで国土地理院の前身である参謀本部陸地測量部が震災復旧測量の中で、
1924年(大正13年)に三鷹に移転した東京天文台の構内に堅牢な構造の
この一等三角点を設置し、既存の一等三角点「丹沢山」「鹿野山」「房大山」と
ともに4点の位置を決定しました。
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とのこと。
さすが、国立天文台。難しい。
子午環とか子午儀とか、、、、
でも、わかることは、あの、日本経緯度原点の場所に昔あったのが移転してきたということですね。
どこにあるの
さあ、この三角点はどこにあるかというと、
飛田給駅の方が近いですね。
下を野川が流れていて、その先(南西方面)には、調布飛行場、
さらに先には、味の素スタジアム(東京スタジアム)があります。
国分寺崖線を体感
一等三角点「三鷹村」から野川の方に降りて行こうとすると大変でした。
階段です。私はこの階段に、
「崖線のスゴイ階段」
と名付けました。
「茗荷谷への坂」や「岡本坂」(世田谷区)と同じくらいのインパクト!
(こちらも私が勝手に呼んでいる名称ですが)
すると、何人かの中学生が部活の練習なのか、この坂を駆け上がってました。
きっと彼らは、大人になったとき、
「あの階段は何処にでもある階段では無かったのか?!」
「あの、階段駆け上がりは、俺らくらいしか経験して無いのか!」
と、中学校の立地を恨み、また、懐かしむことでしょう。
20m弱くらいの高低差です。
ちょうど、国分寺崖線の縁にあるのが実感できます。
三角点は標高 57.94m。
下が、標高40mくらいです。
下から階段を上がるとすると、ビルでいうと5階分くらいにはなります。
自転車で遠回りをして降りて行くと野川が流れています。
水量もそこそこあります。
近年は、上部(武蔵野段丘)の都市化で水の浸透が少なくなり、
崖線での湧水も減っているようですが。
以前は、もっと、水量も豊富だったのでしょうね。
下の写真の中央のこんもりとした森の辺りが、三角点のある上部になります。
ちょっと分かりにくいですかね。。
絵で描くとこんな感じです。(稚拙な絵ですいません。)
下の図は、国土地理院の明治期の低湿地図です。
現在の野川と同じですね。
みなさんご存知かと思いますので、長々とは書きませんが、
古多摩川が削って、武蔵野段丘面と立川段丘面が形成され、
その段差が 、崖線となっているのです。
環八沿いの一等三角点「上沼部」でも、国分寺崖線については書きました。
おまけ、掩体壕だけど重い
大沢1号と2号です。
太平洋戦争時に飛行機を守るためのコンクリート製の倉庫ですね。
飛燕とい戦闘機を入れていたようです。
この掩体壕の前には、モニュメントと解説板がありました。
太平洋戦争直前に造られた、調布飛行場と掩体壕についての説明です。
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「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、目的は
「本土決戦」に備えて、残り少ない貴重な飛行機を温存するためでした。
太平洋戦争における抜け戦況が悪化する昭和19年(1944年)頃から、
コンクリート製掩体壕約30基(有蓋)と土塁で造ったコの字型の掩体壕
(無蓋)約30基の約60基が短期間に造られました。
(中略)
建設は主に陸軍と建設会社があたり、地元の植木組合や中学生も大勢動員
されました。
調布飛行場周辺には、武蔵野の森公園内の2基と府中市に2基の掩体壕が
残っています。
武蔵野の森公園の掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、「平和への語り部」
として保存しています。
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こちらが大沢2号です。
「太平洋戦争」。
それは、遥か昔、本当にそんな時代もあったの?
と思うくらいの教科書での知識。
でもそれではいけないのでしょう。
その時代を生きた人からすると
「2度とあってはならない」というもの。
私たちも、いつ、同じような境遇に
置かれるかわからないのです。
事実、現在、世界では、国と国、宗教と宗教など、
いろいろな理由で、人間と人間とが殺し合っています。
戦争を美化するかのようなものも社会にはあるように
私は感じます。
一人ひとりが、歴史を知り、悲しい結果にならないように
努めていかなければならないと思います。
地形には、人間が生きてきた証しを刻まれています。
それと同じように
これからを生きるために、
幸せに生きるために
地形からだけで無く、
色々な人間の歴史を知る必要があると思います。
一等三角点「三鷹村」 標高57.94m
訪問日:2020年1月12日(日)
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)
お暇なときに覗いてみてください。