東海道 七里の渡し

去年の11月に名古屋に行った時に訪れた、七里の渡しです。

 

 

 七里の渡し

 

江戸時代の東海道五十三次で、唯一の海上路。

熱田宿と三重県の桑名宿を渡し舟でつないでいたんですね。

満潮時に距離が7里あったことからこの名前が付いたらしいです。

 

私が行ったのは愛知県側の熱田宿。

そこに痕跡が残っていました。

 

 宮の渡し公園に整備された、「宮の渡し跡」。

「常夜燈」と「時の鐘」(昔は別の場所にあったそうです)も再現されています。

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昔の桟橋の跡。

夕方に訪れたので、ちょうど、夕日で逆光となってしましました

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名古屋城につながる、堀川です。

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桟橋の先端から、「時の鐘」と「常夜灯」の方を撮った写真です。

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陽が沈みかけて、シルエットの時の鐘。

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 下の写真は、七里の渡しから熱田神宮に行く途中にある、道標です。

江戸時代のもののようです。

「西  なんとか」「南 なんとか」と書いてあります。

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 国土地理院地図

 

国土地理院のウェブサイトに公開してある地図から、

名古屋駅熱田神宮と七里の渡しの位置関係です。 

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ちなみに、熱田神宮と七里の渡しの間が意外にあります。

ここに東海道随一と宿があったのかな。

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航空写真で見るとこんな感じです。

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名古屋城との位置関係はこんな感じです。

堀川がつないでいるんです。

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高低差地図を見ると、名古屋城熱田神宮

低湿地に張り出した台地にあることがわかります。

その台地の西側を沿うように堀川が走っています。

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これも国土地理院地図です。

こちらの方が台地になっていることが分かり易いですかね。

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これも高低差地図です。

現在は、埋め立てられ、熱田神宮は海岸線から離れていますが、

高低差地図を見ると、江戸時代、桑名との間が海だったというのが想像できますね。

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国土地理院では、様々な地図情報をウェブサイトで公開しています。

明治期の低湿地図などから、昔の河川の流れなども知ることが出来ます。

今、自分が住んでいるところが、

昔はどのような地形だったのか調べてみてはどうですか。

 

きっと、新たな発見があると思いますよ。

 

このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)