今年の1月に御茶ノ水駅の脇に
都電の線路跡が現れましたよね。
お茶の水橋の改修工事で、
アスファルトの下から現れました。
あの線路、いつ作られたのだろう?
そして、いつ消えていったのだろう?
と、思いました。
で、私なりに調べてみようということにしました。
都電跡
まずは、今年2月に撮影した写真をどうぞ。
線路そのままですね。
橋の中央側にありました。
線路と石畳。
線路は、こんな形だったのですね。
石畳もそのままです。
いつ作られた?
この都電の線路はいつ作られたのかな。
ということで、昔の地図を見てみました。
昭和9年(1934年)の地図には、路線が載ってました。
現在の明大通りの坂を登って来たんですね。
昭和2年(1927年)の地図にも、路線が載ってました。
「御茶ノ水」に。
さらに、明治40年(1907年)の地図にも。
でも、そこまでしか、私は調べられませんでした。
一体、いつ出来た?
「東京坂道ゆるラン」というサイトに詳細が書かれていました。
こちらです。
実に詳細な史料に基づき、説明がされてました。
すごいの一言です。
では、いつ出来たかという問題。
こちらサイトによると、
東京電気鉄道という会社が、外濠線として、
明治37(1904)年12月に開業したとのことです。
これは、東京都交通局や他のサイトの記事からも同様の記載がありました。
ということは、明治37年(1904年)くらいに作られたものだったのですね。
ちなみに、東京電気鉄道の外濠線は、こんな感じだってかな。
造り直されたのが、昭和6年(1931年)5月です。
ですから、今年姿を現した線路跡は、
この時に作られた、という結論でいいかも。
いつ消えてしまった?
で、いつ使われなくなったのかという問題。
それも、「東京坂道ゆるラン」さんでは、調べてありました。
すごい!
しかも、新聞資料付き!!
昭和19年(1944年)4月29日付けの新聞に、
5月5日より休止する路線の一つとなってます。
ということは、1944年5月5日から休止になったといことですね。
戦争中のことですね。
では、それ以降お茶の水橋の上を都電は走らなくなったのでしょうか。
昭和37年(1962年)の都電の路線図には、この路線は消えています。
昭和34年(1959年)の地図でも路線が消えています。
現在の地図に路線を書き込むと、こんな感じですかね。
そのまま、廃線になってしまったのですかね。
都電は、昭和42年から47年までの間に順次、廃止され、
現在の荒川線のみを残し、全て廃線となりました。
国土地理院の航空写真
廃線はそれとして、いつ埋められてしまったのでしょうか。
国土地理院の航空写真で調べてみました。
あれれ、昭和22年(1947年)の航空写真に線路のようなものが見られます。
まだ、あったのですね。
昭和32年(1957年)の航空写真にも線路のようなものが見られます。
でも、さすがに都電が走っていなかったのでしょうね。
昭和38年(1963年)の航空写真です。
えっ! あれれ!!
何か、線路だけでなく、都電みたいなものも写ってますよ。
でも、昭和37年(1962年)の路線図では消えていますよね。
どういうこと!
① 写っているのは都電ではない
② 不定期に走っていた
③ 回送線として使われていた
くらいが考えられるのでは。
昭和50年(1975年)の航空写真には、もう消えています。
あたり前ですね。
今後も、引き続き、調査継続します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
2020年4月11日
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)