新宿御苑の2回目です。
と言っても新宿御苑の周りです。
新宿区は、「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」というのを整備しています。
新宿御苑に沿って北側に作られています。
下は、新宿区のHPでの説明です。
新宿御苑の新宿門から大木戸門まで作られています。
小川も作られていますが、新宿御苑の下を通る甲州街道のトンネルに流れ出た地下水を使っているようです。
実際の玉川上水は、ちょっと北側を流れていたようです。
それでは、早速巡ってみましょう。
①の新宿門の脇を人混みから離れて進めます。
上の図の紫色が散歩道になります。
散歩道を行くとすぐに旧新宿門があります。
②の辺りです。
この建物だけでもいい感じですね。
散歩道に流れる開渠の小川です。
玉川上水は、開渠だった頃から、石で作ってみたりもしています。
③の大木戸門です。
そして、駐車場の脇を抜けてさらに進みます。
新宿御苑の敷地の境目のところです。
上の地図の④の辺りです。
玉川上水から分水された痕跡ですかね。
分水の痕跡?のところをいくと直ぐに四谷大木戸門の跡の碑がありました。
⑤のところです。
こちらは、水道碑記というのが建っています。
新宿通りと甲州街道が交わる角に建てられています。
⑥のところです。
玉川上水の記録が書かれているようです。
読めません。漢字の難しい碑です。
右側の石碑ですよ。
ちなみに、最上部の字は徳川家達らしいです。
徳川家達といえば徳川宗家16代ですね。
ここまでは開渠でした。
水量を調整したのですね。
つまり、渋谷川の源となるところでもあるのかな。
また、ここで水のゴミなどを取ったり、水質を汚すことのないように見張っていたのですね。
玉川上水を汚すことお至る所で警戒していたようです。
江戸市民の大切なインフラですからね。
ここからは水道管で市中に送られたそうです。
④の水路の痕跡の延長のところ、⑦あたりにありました。
水路に降りる階段ですね。
残っているんですね。
この水路から内藤家の屋敷にあった池にも水が引かれていたそうですよ。
⑧の辺りに神社がありました。
内藤家が藤原鎌足の血をひいていることから鎌足を神としているようです。
狛犬なども寛政や嘉永と刻まれていて江戸時代の作りのようです。
さらに神社の横の公園には三菱鉛筆の案内板もありました。
ここを流れていた水を使った水車で鉛筆を作っていたのですね。
そして最後は、渋谷川に架かっていた橋の跡です。
奥の方が上流になります。
流れが写真の左に流れています。
外苑西通りの反対側に回ってみました。
池尻橋と呼ばれていたようですね。
途中、四谷區との住居表示の家がありました。
記念に写真に収めました。
明治期の低湿地を国土地理院のサイトで調べてみました。
渋谷川の流れがまだ残っていたのですね。
また同じく、国土地理院のサイトで昔の航空写真も見てみました。
戦前は新宿御苑が真っ黒になってます。
現在の国立競技場の中に川らしきものが、、
こちらにはくっきりと見えますね。
傾斜を利用して写真右側に客席を設けたのですかね。
最後に高低差地図を貼っておきます。
如何でしょうか。
川の後を巡るのも、痕跡などを見つける嬉しくなって楽しいですね。
お付き合い頂きありがとうございました。
訪問日:2020年11月23日(月・祝)
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものである。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)