陣内秀信氏の『東京の空間人類額』という本をただ今読んでます。
途中までですが、面白いです。
冒頭に東京は震災と空襲で2回廃墟になっており、江戸時代の痕跡はないと思われがちであると筆者は述べてます。
でも、現在も江戸時代のl名残りがいたるところに残っているのです。
まだ途中までしか読んでないのですが、例えば御家人の住んだところについての記述があります。
御家人のグループが一つのエリアに住んでいたそうです。
そしてそのエリアは、中に道を作り、道に接した間口が狭く奥に長い区画割りをされ、住んでいたそうです。
それを具体的に現在の区画として残っていることが書かれました。
非常に面白いなと思いました。
それで私も切り絵図と現在の地図を見比べて見ました。
下の図は江戸時代の切り絵図です。
大名や旗本は名前が地図に書かれてます。
現在で言う、住宅地図ですね。
でも江戸の町民が住むエリアは灰色で町名が書かれているだけです。
幕府の御家人も同じです。
紫色で囲ったところは、「御持筒組(おもちづつぐみ)」と書かれています。
雑な言い方をすると鉄砲隊ですかね。
このエリアに御家人の敷地が縦長に区割りされていたそうです。
同じ場所の現在の地図です。
中央のちょっと上を弧状に走る道が昔の川の跡です。
その下の区割りを見ると南北に縦長の区画が見えます。
ここは都営新宿線の曙橋駅を北に坂を登って行った左手の半円状の変な街並みのところです。
赤い枠で囲ったところが旗本か御家人の屋敷とその左手の「御先手組(さきてぐみ)」の居住地です。
先手組とは戦いの時は先鋒の役割りだったようですが、江戸時代では、まあ警備ですかね。
現在も半円形の街並みと縦長の区画が残っているのが分かります。
今の青山通りが南北に走っており、赤枠の下あたりが骨董通りですかね。
旗本や有力御家人の敷地も間口が狭く奥長になってます。
現在の地図でもこの区割りが見られます。
『大江戸今昔めぐり』というアプリをみなさんご存知ですよね。
下はそのアプリの画像です。
上の場所を見ると重なってます。
大名家の大きな敷地がその後、皇族、華族 、官庁の敷地になり、現在は公園や高層ビルになっているのはよく見受けられます。
旗本や御家人のpが住んだ江戸時代の痕跡が敷地の区割りとして現在も残っているのですね。
いやー、やっぱり歴史と地形、地図って、見てるだけで楽しいですね!
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
2020年12月7日
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものである。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)