仕事の合間に神楽坂辺りを散策しました。
神楽坂は、飯田橋駅の新宿よりの改札を出て北方向に坂を登っていきます。
下の地図で丸で囲んだ辺りですね。
神楽坂辺りは大正期から花街として栄えた街です。
今もその名残りがあります。
神楽坂通りからいくつか横丁が出てて、その横丁がまたいい感じです。
下のマップは新宿観光振興協会のHPにある地図です。
兵庫横丁、本多横丁、かくれんぼ横丁、見番横丁などたくさんあります。
(一社)新宿観光振興協会
江戸時代には旗本や御家人の屋敷があったようで、その敷地の形状が今の横丁を作ったのですかね。
横丁の道路の幅の狭さが魅力のもとになっていると感じます。
加えて、傾斜もついていてとても素敵な横丁になってます。
見番横丁です。
他にも素敵な小路や横丁がたくさん!
幾つか写真を載せますね。
こんな感じの横丁もあります。
場所を知りたい人は自分で行って探して下さい(笑)
神楽坂通りには善国寺があります。
ここは小栗通りです。急な坂がいいですね。
とても、1回の記事では書けないくらいの魅力がある街です。
ぜひ、行ったことがない人は足を運んでみてください。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
ということで、ここからは私の趣味の世界に。
航空地図で1980年代と現在を比べてみました。
小さく区画がまとめられて大型ビルやマンションが建てられています。
時代の流れですね。
次に高低差地図を作ってみました。
3m刻みで作ったのですが、いい感じの高低差がありますね。
ちなみに、江戸時代の切り絵図では善国寺も旗本などが見られます。
旗本・御家人の屋敷が通りや小路面して奥に長い敷地になっているのが此処でも確認できますね。
江戸時代の区画が現在までその痕跡を残していること、そして、現在の土地土地の文化や土地の利用形態に影響を及ぼしている、
という事を以前ここのブログに書きました。
『東京の空間人類学』という本を読んでの感想です。
神楽坂辺りも舌状台地の尾根沿いの道、そしてそれを所与としての江戸時代の土地利用が現在まで影響しているのではないでしょうか。
本当に最後まで見て頂いた方、私の趣味に付き合って頂きありがとうございました。
それでは、コロナ禍、とにかく生きていきましょう。
2021年4月24日(土)
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものである。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)
【最後に宣伝です m(. .)m 】
就活生の方、「将来どのような社会になると思いますか?」という質問の答えの参考になるかもですよ。