神田川から分かれる日本橋川(その歴史)

水道橋に行ってきました。

写真は昨年の写真です。

飯田橋駅水道橋駅の間にあります。

神田川から分岐して日本橋川がはじまるところです。

JRの鉄橋があります。

橋脚はレンガ造でいい感じでした。 

写真の手間側が下流になります。

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総武線と中央線が走っています。

小石川橋梁と呼ばれているようです。 

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北側(神田川側) の橋台です。

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こちらは南側です。 

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当初は甲武鉄道が新宿から延ばしてきた鉄道でした。

この橋台は多分その頃のものではないかと思います。

鉄道の歴史はこちらに詳しく書いてますので、興味がある方はどうぞ。

 

bullbull-musao.hatenablog.com  

bullbull-musao.hatenablog.com

  

 場所は赤い丸で示したところになります。

ご存知の通り日本橋川首都高速道路が川の上を塞ぐように走っています。

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でも、この日本橋川って面白い歴史があります。

戦後すぐの航空地図です。まだ首都高はありません。

貨物の飯田町駅も大きな敷地なのが分かります。

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拡大するとこうなります。

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この神田川から分岐しての日本橋川、この辺りは昔は川が無かったのです。

無かったというと間違いです。

大昔はあったのです。

 

家康が江戸に入った頃の地図が下です。

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標高地図を見てみましょう。

神田明神などがある駿河台がお茶の水下まで延びています。

また、尾根沿いに春日通りが走っている台地があります。

この台地と駿河台の台地の間を小石川が流れていました。

平川は今の神田川の元になった川のようです。

不思議なのが駿河台を切り裂くように神田川が流れていますよね。

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駿河台を掘り平川を隅田川に直接流すように川を作ったのですよ。

そして明暦期には現在の水道橋あたりからは川が消えてしまったのです。

江戸の街を水害から守ろうとしたのでしょうね。

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明暦期の切り絵図にはもう川は無くなっています。

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明治初期の地図でも川はまだありません。

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それが明治期にまた川を作りはじめているのです。 

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明治45年の地図には繋がっています。

日本橋川の誕生です!

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拡大すると

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そして、最初の写真のように鉄道を通す時に橋梁を作る必要があったのですね。

ちなみに、平川の位置と日本橋川の位置は違うようです。

橋一つ取ってもそれが作られた経緯を調べてみると面白いですよね。

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

コロナの中、みなさんご自愛ください。

 

2021年5月6日

ーー追記 2021年5月26日ーー

この記事を読んでいただいた方より情報を貰いました。転記します。

ありがとうございます😊

 

「非常に興味深くブログを拝読いたしました。よく考察されていると思います。
こちらで紹介されている鉄橋は1904年、ドイツのメーカーで製造されたもの。まさに飯田橋から水道橋、お茶の水甲武鉄道を延伸した際にかけられたものだそうです。
ちなみに使われているレンガは、渋沢栄一が設立した日本レンガのものと推察しています。
また、日本橋川が現在の川筋に掘られたのは、1903年と聞いています。
目的は、飯田町の貨物駅に到着した物資を、船で運ぶためとか。
平川と日本橋川の川筋が違うのは、平川は飯田町の貨物駅の敷地内を流れていたからと推察しております。
長々と、失礼いたしました。」

 

ありがとうございます。
やはりそうですか!
それに使われているレンガが今話題の渋沢栄一が設立した会社とは!
川を再度復活させた理由も飯田町駅の物資輸送だったんですね。理由が分からずいたのがスッキリしました。でも、考えてみるとそうかって感じですね。日本鉄道も甲武鉄道も元は貨物輸送を目的としていたのですから。南千住なども隅田川の船運と連結していましたものね。
本当にありがとうございました。

 

 

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