高輪の築堤、再訪!

 1872年(明治5年)、新橋ー横浜間の鉄道の開業。

明治維新間もなくの開業、凄いと思いませんか?

 軍隊の強化などの意見もあり、予算も土地も少ない中で取組み、開業させたのです。

 多摩川に架かる橋が木造だったり。

同じように土地を手当て出来ないのでは、海上に築堤し、その上を鉄道を走らせたんですよね!

 

その遺構がタイムカプセルのように出現!

話題になってますよね。

発掘の説明会などがあったようですけど、行けなかった私は遠くから見るだけ。

 

今年の1月は

今年の1月に行った時はこんなでした。

突然に現在に姿を現したって感じですよね。

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高輪ゲートウェイ駅からの築堤

ということで、約半年ぶりに再訪して来ました。

 まずは、高輪ゲートウェイ駅に。

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高橋ゲートウェイ駅からはこんな感じです。

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ちょっと北側

次に田町側に北上すると、こうなってました。 

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北側の築堤

さらに田町駅側方面は、このように。

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一部現状保存、一部復元保存などと報道されていました。

でも、だいぶ、手を入れているように見えました。

 

提灯殺しのガード

 

「提灯殺しのガード」に入るところには、時期不明の石垣も。

これはいつ作られたのかな?

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頭をぶつけてしまいそうなガードは、今は歩行者のみ通行可でした。

自転車は押して進んでくださいね。

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このガードもいずれすがたを消すのかな? 

 

芝浦運河と引込線

その、芝浦運河を回ってきました。

運河の上は新幹線の大井車両基地への引き込み線が通ってます。

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南方向(品川方面)を振り返るとなかなかいい景色のように思えました。

運河と引込線と高層ビル。

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羽田空港への飛行機も飛んでます。

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しばらく休憩していたら、車両基地から東京駅の方に行く新幹線が引込線の上を走りました。

絵面的には、左手に進んでいるように見えますが、写っているのは最後尾です(笑)

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ということで、今回はこのような順番で巡ってきました。

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 地図で確認

 

 この築堤跡、いつ頃に埋め立てられたのでしょうか?

うーん、わかりません。

でも、昔の地図でちょっと見てみましょう。

 

1909年(明治42年)頃はまだ海岸線を汽車が走っているようですね。

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品川駅辺り 

品川駅の辺りを見てみましょう。

1929年(昭和4年)までは品川駅の東は直ぐ浜だったようですね。

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昭和期になるとどんどんと東側が埋め立てられています。

1955年(昭和25年)には品川駅から海岸線は遠くになってしまっています。 

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新橋駅-田町駅辺り

新橋から田町駅辺りを見てみましょう。

1880年明治13年)は、海岸線を走っていますね。 

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 1909年(明治42年)には線路の東に少しずつ埋め立てが進んでいます。

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 大正期、昭和初期には随分と埋め立てが進んでいます。

 

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 1937年(昭和12年)には、完全に海とは離れてしまってます。 

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街づくりを思う

 

江戸時代から、都市の拡大は進んでいました。

日比谷入江を埋め立て、駿河台を削って神田川隅田川に流す。

小名木川をはじめとする、運河の整備。

荒川の西遷、利根川の東遷。

明暦3年の大火をきっかけとしての大江戸の再構築。

大正関東大震災、太平洋戦争での空襲、1964年東京オリンピックでの大改造。

 

時代とともに街は移り変わります。

昔のママの姿をとどめている事はできません。

でも、壊して新しく作り変える時代はもう終わりにしませんか?!

 

それと自然の脅威。

減災は出来ても免災は出来ないのではないでしょうか?

人間の驕りだと思います。

 

このような歴史的な遺産が姿を見せた時はチャンスではないかと思うのです。 

街の財産、他の街にはない貴重な資産です。

街の歴史や地形などを上手く使い、自然との共生を試みる。

そんな動きもはじまっています。

壊して作り変えるより、魅力的な街づくりが出来ると思うのです。

難しいですけどね。

 

最後までお付き合い頂きました、奇特な方、本当にありがとうございました。

 

2021年6月7日 訪問

このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものである。なお、以下の承認も受けている。

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号) 

 

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