板橋区立高島平図書館とtime spot (高島平8-13-6こがねビル2F)で開催中の『高島平✖️水路観察入門』を観に行って来ました。
でも、time spot は今日はクローズ。スケジュール確認してから行きましょう。
Tシャツ、気になっていたんです。
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— 🪴サイトー@Asukayama Works🪴 (@asukayama_works) 2021年9月15日
高島平が「高島平」と呼ばれるようになる前の航空写真です。
一面田んぼが広がってますね。
開発される前の写真もありました。
因みにこの川は前谷津川ではないようです。
川で泳ぐ人の写真も。
昭和551年当時、まだ暗渠化されて無かったのですね。
当時の前谷津川は雨の時に水が流れるくらいの窪地だったようです。(下線部分修正します。)
前谷津川は元々は普通の川でしたが、高島平より上流が先に暗渠化→流れが下水管に入ったので高島平部分が空堀状態になっていたとのことのようです。
みんな、暗渠化後の地上の使い方を考えはじめています。
「ふたかけ」と言うのですね!
結局、ボックスカルバートで暗渠化したみたいです。
そして、カルバートの上は良質の土を入れて緑道化されました。
現在は、桜並木として有名になっているようです。l
暗渠化される前の前谷津川を残した計画を日本住宅公団はしていたのですね。
板橋区のイメージって、江戸四宿の板橋!
ってくらいで、イマイチ何も出て来ないですよね。
少なくとも私は。(すいません、板橋区民の皆様)
でも、下の地図を見てください。
暗渠の街ですよ、板橋区は!
台地と谷が入り組んで、都市化に伴い、谷を流れていた小川が暗渠化されているのです!
決定です。
「板橋区は、台地と谷、そして暗渠の街」
で如何でしょうか?
ということで、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
2021年9月15日(水)
「当時の前谷津川は雨の時に水が流れるくらいの窪地だったようです。」
と書きましたが、正確には以下の状況だったとのこと、教えて頂きました。
こうやって、皆さまから色々と教えていただき、確かな記事にしていけるってうれしいですね。
今の時代SNSで誰もが発信者になれる、そして、誰かが発信した情報に「いいね」やリツイートで拡散してしまう。
それがもし、正しく無い情報だったらと考える、非常に怖い社会でもあります。
私の発信が、「違うよ!」とか、「ニュアンスがおかしいよ」など、ご指摘頂けたら、私もありがたいです。
引き続きよろしくお願いします。
レポートありがとうございました!書かれているうち、「当時の前谷津川は雨の時に水が流れるくらいの窪地だった」はちょっと違っていて、前谷津川は元々は普通の川でしたが、高島平より上流が先に暗渠化→流れが下水管に入ったので高島平部分が空堀状態になっていたのです。分かりづらくてすみません。
— nama(暗渠マニアックス 吉村生) (@nama_kaeru) 2021年9月15日
2021年9月16日(木)追記