先日友人と会食中、プロ野球の話しになりました。
太平洋戦争直後に武蔵野市にスワローズの球場があったという話をしたら驚いてました。
わずか1年で消えた球場です。
三鷹駅からの引込線もあったのです。
という事で、痕跡を周ってみよう思いました。
「住みたい街」ランキングでいつも上位につける吉祥寺。
コロナ前の調査ですが、千代田区・中央区・港区・新宿区・渋谷区に昼間に長く滞在する人が、夜、どこにいるかというデータが示されました。
つまり、仕事や学校に都心に通っている人は何処から来ているのか?
結果、1位は三鷹駅でした。
(ニュースで読んだので確かではありませんが。)
武蔵野市って人気があるのですね。
という私も学生時代に吉祥寺に住んでましたけど。
引込線跡を辿る
下の地図をみると意外に都心から距離がありますね。
その武蔵野市の市役所のあたりに太平洋戦争時に「中島飛行機」の軍需工場があったとのこと。
1944年11月24日に初めて空襲を受けて、その後も度々爆撃を受けて、動員された方、周辺住民の方の多くが犠牲になられたと。
戦後、工場は解体され、一角に「東京スタジアム グリーンパーク野球場」が1951年に開設されたそうです。
武蔵境駅から中島飛行機の工場への引込線を引き直し、三鷹駅から国鉄の路線としてとして生まれ変わったそうです。
「武蔵野競技場線」と言ったようですね。
でも野球場が間もなく閉鎖され、引込線も1959年に廃止されたとのこと。
案内板にそこのとこが描かれていました。
(現在地と記載されているのは、後述する工場への引込線から野球場への引込線の分岐点のところです。)
引込線の跡を辿ってみました。
① 三鷹駅です。
それ以上に私達に重要なのは、玉川上水が西北西から東南東に駅を横切っていることですね!
② 駅北西に玉川上水です。水面が近い!
線路沿いに西に向かいます。
ここから中央線から離れていきます。
右手に円弧状に歩道となっています。
(ちょうどフェンス沿いに給水塔方向に)
③中央線からの分岐地点
さらに歩道は続きます。
④引込線跡の遊歩道
円弧状の遊歩道が続きます。
桜だと思うのですが、大きな3本の木が花を咲かせていました。
途中で玉川上水を超えます。
ここまで来ると水面が深いところを通ってます。
⑤玉川上水
まだまだ続きます。
⑥ 引込線跡の遊歩道
そして、分岐点です。
武蔵境駅から中島飛行機の工場への引込線は左側を北に北上していました。
野球場への引き直しはここから右手東方向に向かいます。
⑦ 分岐点
右手の球場への引込線跡を辿ります。
そして大きな公園で、引込線の痕跡は終わりです。
都立武蔵野公園です。
昔は武蔵野台地。
江戸時代、玉川上水から分水を受けて開拓農民により開墾されたそうです。
西久保城山町(現在の港区芝)、関村(現在の練馬区関町)、上保谷町(現在の西東京市)から移り住だそうです。
緑が美しい長閑な田畑が広がっていたそうです。
現在でも、畑がありますね。
そこに東洋一の大きな工場が造られました。
勿論、米軍の最大の攻撃目標なります。
そして、多くの人々が犠牲なり、工場も灰燼に帰してしまいます。
戦後は、米軍宿舎が建設され、1973年に返還されました。
そして現在は公園となっているわけです。
⑧都立武蔵野公園
この公園の先には、「URであ〜る」の団地が並んでいます。
⑨ UR団地
そしてそして、UR団地の間に球場を記念した広場が作られています。
50,000人を超える収容人員。
ナイター設備も完備。
でも、プロ野球の試合が開催されたのは1ねんだぇ。
完成から5年で解体とあまりも短命な球場だったようです。
⑩ グリーンパーク球場跡
ここの辺りにあったのですね。
ちょうど工事中でしたので、もう一度行くことにしましょう。
辿って来たのは下の地図のとおりです。
といことで、長い時間ありがとうございました。
第2部 航空地図で
この後は、航空地図で変遷を見ていきたいと思います。
興味ない方はこれまでお付き合い頂きありがとうございました。
現在はこんな感じです。
都市化してますね。
平成期の始めの頃です。
半世紀くらい昔です。
まだ田畑が多く残ってますね。
三鷹駅辺りを拡大してみました。
引込線の跡がくっきり残ってます。
そして、中島飛行機の工場が爆撃される前です。
引込線もくっきりですね。
これは終戦後の米軍が撮影したものです。
爆撃で破壊されているように見えます。
中央線からは武蔵境駅からの引込線だけですね。
そしてそして、球場が写っているのを見つけました!
引込線もくっきりですね。
国土地理院の地図から見つけました。
国土地理院、最高です!
ということで、武蔵野市にあった野球場への引込線を辿ってみました。
その後戦争の禍い。
野球場が出来ても、当時はまで都市化してなく、都心から遠いて砂埃。
現在は団地、公園、市役所。
人々の生活の場となっています。
いつもこう思います。
今の姿しか私は見ることが出来ません。
でもそこには悲しみや笑顔や色々な先人の日々の歴史が層を成しているって。
本当に最後までお付き合い頂きありがとうございました。
皆さまのお身体と心の健康をお祈りいたします。
2022年4月12日(火)訪問
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものである。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)