立原正秋を読みはじめたのは、何時だったろう。高校生の時には読んでいた。
高校生の夏、自転車旅行中のユースホステルのテレビのニュースで、彼の死が報じられていた。
そして大学生の頃はとにかく読んだ。
未来が無限にあると思っていた当時の私は、立原正秋の世界に魅了されていた。
何か、日本の亡びいく文化を感じた。
そして、立原正秋は、そんな日本の美を求めて彷徨していているように思えた。
川端康成の『雪国』を今の若い人は、単なる親父の不倫の物語だと思うかも知れない。
昔の倫理観しか持ち合わせていない、年老いた男の勝手な思いや行動の話しだと。
そういう人からは立原正秋の小説も同様に思われるだろう。
でも、また、読み終えてみて、何か単なる独りよがりな男性の物語とは思えない。
太平洋戦争を経験した人が変わりゆく世の中の中に何かを求めて生きているように思える。
それは、その当時を生きた人しか、実は分からないものでもあろう。
昭和期から社会人として働いてきて、平成、令和と社会の変化の中にいる私もまた、消え去ったモノに対して、感傷的になってしまう。
それは、今の社会の尺度では許されないことであったり、合理的でもなんでもないことである。
立原正秋の『恋人たち』という小説は、そういう小説である。
10年程前に、立原正秋の全集を古本屋で見つけ購入した。
立原正秋の世界にその時も埋まった。
読み終えるのに1年程要したと思う。
もう一度読み返してみたくなり、今度はインターネットで探して手に入れた。
ただ、読む勇気が出ずにいた。会社員時代は、読む時間が制約される。
しかし、会社員では無くなった今、立原正秋の世界に落ちてしまうと、労働しなくなる恐れがある。
そう思い、躊躇していた。
今日を完全休養日としていた。
つい手に取ってしまい、『恋人たち』を読了してしまった。
この作品は、昭和の時代にテレビドラマ化もされ、立原正秋の小説の中では有名である。
そして、彼の作品の典型として捉えることも出来よう。
私が初めて読んだ40年以上の前と同じく、主人公の道太郎は魅力的であった。
そして、信子の生き方も美しかった。
仕事をさぼりながら、でも生きていくくらいは働きながら、立原正秋の世界を、夜の星の光を浴びるようにひたっていこう。
2023年5月24日