先日、私用で名古屋に行きました。
となると、翌日は岐阜城ですよね。
ここ数年、発掘により多くの新事実が見つかっているからには、絶対見ておく必要がありますよね。
岐阜城の場所は
岐阜城は、名古屋市内から北西に40km弱のところにあります。
車で1時間もかからないところ。
北を長良川が流れ、平地の中にポツンと急な傾斜の山がそびえています。
麓が標高20m前後、岐阜城がある金華山が330m程度ですから、300m以上もある山城ということになります。
しかも、金華山は単独の山。本当に攻略するには大変な山城だっただろうと思います。
この金華山の麓が、発掘調査の結果、色々なことはわかって来ています。
ニュースや歴史番組で見ていると現地に行かないわけにはいきませんよね。
信長屋敷跡
発掘調査によって、信長が岐阜城の主人であった頃の痕跡が多く出てきました。
これにより、当時の姿がだんだんとわかってきているのです。
おもに、下図のA地区、B地区、C地区の発掘により、全体像が見えてきています。
(「国史跡 岐阜城跡」(岐阜市教育委員会社会教育課)のパンフレットから転載)
信長の屋敷の全体像は、下の図ようであったとのことです。
池を配置して、高低差を利用した複雑な構造ですね。
(「国史跡 岐阜城跡」(岐阜市教育委員会社会教育課)のパンフレットから転載)
ルイス・フロイスが書いた記した書の中に実際に館を訪れており、複数の庭園とその完全さに驚嘆したことが書かれているそうです。
実際に発掘の現場に行くと、当時の石垣が屋敷の大きさを感じさせてくれました。
野面積みの端正な石垣です。
C地区の平坦部には館の中心建物があったと考えられている場所とのこと。
金箔瓦もまとまって出土しているとのこと。
きっと豪華な建物だったのことでしょう。
通路なのか、あるいは水路なのか?
地形を利用して、迷宮のような建物があったのでしょうね。
この小川が中央を流れていて、屋敷から眺められていたのかも知れません。
複層する石垣の上に屋敷が建っていたと想像してください。
路面は、石を敷き詰めてできています。
あるいは、池の底かも。
石畳の路と石垣は、このように組み合わされていました。
実際に行って見て、これだけの石垣に屋敷であったとは、信長の超人さを再認識です。
驚異の庭園
最大の見どころです。
自然の岩壁を利用した庭園。
復元CGでは、大きな池が作られたいます。
(「国史跡 岐阜城跡」(岐阜市教育委員会社会教育課)のパンフレットから転載)
岩壁の高さは35mにもなります。
さらにこの岩壁に人工的に2本の瀧も流していととも。
この岩壁のしたに池が作られていたとのこと。
岩壁自体が魅力的な造形美ですね。
近くからの写真です。金華山全体がチャートの岩山とのこと。
幾層ものチャートで出来ています。
(すいません、地質には知識が疎いので詳しい方、検証いただけたら幸いです。)
岐阜城
「岐阜」 という地名は、信長が命名したという事は有名な話しですよね。
以前は、稲葉山城と言われていた。
古くから、城が築かれていたようですが、私の中では、斎藤道三からですね。
その後、信長が奪って、天下統一の戦いを進めていく拠点として有名ですね。
(「国史跡 岐阜城跡」(岐阜市教育委員会社会教育課)のパンフレットから転載)
切り立った崖の天然の要塞に、さらに幾つもの堀切・切り通しが作られていました。
尾根の岩盤を掘り抜いて作った、切り通しです。
下の写真は現在の発掘調査の現場です。
新たな事実が出てくるかも。
尾根伝いに行くと、白壁の岐阜城が現われました。
天守に向かう最後の尾根伝いの道。
この道は、石垣でできていました。
尾根からの岐阜城。
天守台の石垣。
天守から、長良川方面を眺めると、眼下に麓の街が広がっていました。
天守台は、このような岩山の上に作られていたのですね。
最後に川原町の町並み
長良川と言えば、鵜飼い。
それと、水団扇で有名な川原町の町並み。
昔を彷彿とさせる町並みが残っていました。
建物と建物の間にひっそりと佇む祠。
たぶん、江戸時代と変わらない幅の小路。
いつの時代のものかはわかりませんが、石柱。
でも、地図をよく見ると、この川原町は長良川の河川敷にあるんですよ。
昔の長良川の自然堤防は、下の地図の位置にあったように思えます。
鵜飼いなど、便利が良かったのか、川原に住み着いた。
だから、「川原町」!?などと想像するのは楽しいですね。
最後に、金華山の山頂に二等三角点は設置されています。
三角点らしきものがあったのでこれかなと思い込み写真を撮ってきたのですが、
あとで調べると大違いでした。
ちゃんと標石と保護石で出来た、立派な二等三角点があったのです。
事前調査がなっていなかった。
情けなく、ただ残念で残念で。
訪問日:2019年11月21日(木)
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)
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