前回に続いて紀尾井町あたりの散策の2回目です。
前回は、❶から❸を書きました。
今回は、赤坂見付駅から清水谷公園に戻って紀尾井坂をソフィア通りに向かいます。
外濠に出ましたら、四ツ谷駅に行きました。
清水谷公園に掲出されていた江戸時代の地図です。
現在地と書かれたところが清水谷公園です。
ご存知の通り、「紀尾井」とは、紀伊、尾張、そして井伊から一文字ずつ取って付いた地名ですね。
四ツ谷門から半蔵門は、江戸城の守りでは最大の弱いところと言われています。
それで、旗本・御家人を配置して、また大名も御三家や有力譜代大名も配置しています。
でも、番町が旗本や御家人のエリアだったのと比べると、こちらの紀尾井町は大名屋敷が多いのが特徴です。
紀尾井町は新宿通りを尾根とした南傾斜の場所です。
南傾斜は、陽当たりも良く、風通しも良く、住むには最高の場所です。逆に北傾斜地は、日陰になりやすい場所で湿気も比較的多い場所です。
私の想像ですが、南傾斜地に徳川御三家や有力譜代大名を置いたのではと思います。
清水谷公園を北上すると紀尾井坂の一番底の場所につきます。
そこから外濠方面(ソフィア通り方向)がこんな感じです。
凄い傾斜になっています。
紀尾井坂の位置をもう一度確認しましょう。
断面図はこうなります。15mくらいの登り降りとなってます。
自然が作る地形って本当不思議だと思いませんか?
紀尾井坂を登り切ると喰違見付のところです。
右に行くと四ツ谷駅方向となり、ソフィア通りと名前がついてます。
堤の上から真田濠が見えます。
今は空壕ですが江戸時代はちゃんと、水を蓄えたお堀だったようです。
堀の底は上智大学の運動場となっています。
そして、濠に沿って丸の内線が地上に出てきています。
遠くには新宿の都庁も見ることが出来ます。
地下鉄なのに山手線の上にある!ということで有名な渋谷駅。
でも、JR線の上に地下鉄が走っているのは渋谷駅だけではありません。
四ツ谷駅もJRの中央線の快速線と緩行線(総武線)の上を丸の内線が走っていますよ!
11時台の時刻でしたけど、丸の内線と総武線が重なる写真を撮るのに45分もかかってしまいました。
出典もとを書いて貰えるなら自由に写真使っていいですよ。いらないか(笑)
四ツ谷駅は完全にお堀を使ってますね。
中央線を作った甲武鉄道は、ここから先、外濠に沿って線路を伸ばして行きました。
そこら辺の経緯はこちらに書いてますので興味ある方はどうぞ。
さて、この周辺の高低差ですが、こんな感じです。
台地の一部を削って濠を作ったり、尾根線に通りを作ったり、江戸時代から自然を上手く利用しているのですよね。
それに南傾斜地と北傾斜で大名屋敷と旗本・御家人でエリア分けしたり。(これは私の想像でした!)
いつも思いますが、地形と人々の生活って密接に関係しているのですね。
その積み重ねが歴史ってことになるのでしょう。
そしてその上に現在の私たちがいて、私たちが作る地層の上に将来の人が生活するのですね。
ということで最後までお付き合い頂きありがとうございました。
訪問日:2021年10月20日(水)
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