今回は、紀尾井町あたりを散策して来ました。
前回は、北側の番町から市ヶ谷を散策しましたけど、今回はその南側ですね。
秋晴れの朝、ゆっくりと歩いてきました。
地上に出ると「新宿通り」です。
と、思っていたのですが、麹町駅を出てみると「麹町大通り」と道路に標識が出てました。
何処か途中で名前が変わるのですかね?
ちょっと北側の番町に行くといい坂がありました。
旧坂で階段になっています。
こういうのを見つけるとうれしくなりますね。
さてと、今回の目的の目的の南側に行きましょう。
プリンス通りという名前が付いた道を南下します。
右手に、旧北白川宮邸の門の跡の煉瓦があります。
この煉瓦の説明板の文章を転記します。
2011年、旧李王家東京邸(現赤坂プリンスクラシックハウス)の保存工事の過程で地中より旧北白川宮邸洋館の煉瓦積基礎が発見された。この日は紀伊徳川家江戸上屋敷で、明治時代になって北白川宮能久親王に下賜され、1884年に洋館を中心とする大規模な殿邸が建設された。(中略)設計者はジョサイア・コンドルであった。(中略)1912年、北白川宮は高輪南町に移転し、跡地には1930年に李王家東京邸が建設された。
2011年、旧李王家東京邸(現赤坂プリンスクラシックハウス)の保存工事の過程で地中より旧北白川宮邸洋館の煉瓦積基礎が発見された。
発見されたレンガ積基礎には上質の煉瓦が用いられており、目地にセメントを用いた丁寧かつ堅牢な造りであった。この遺構はその一部で、玄関ポーチの独立柱の基礎であったと考えられる。
煉瓦保存処理監修 高山登志彦
と、コンドルが設計した建物の遺産だったのですよ。
しかも私の知人の高山さんが監修をしていたとは、世間は狭いものですね。
その、旧李王家東京邸は、赤坂プリンスクラシックハウスとして結婚式やパーティーなどの会場となっています。
東京都指定有形文化財でもあるんです。
細部もこだわりのある作りです。
現代の建築物も設計者や施工者は限られたコストの中でいいものを建てようとしているのでしょうけど、昔の建物もまた素晴らしいですね。
このような歴史的建築物を壊さずに利用するっていいですね。
東京ガーデンテラス紀尾井町は、オープンなつくりになっていて敷地内を散策することが出来ます。
ビオトープ公園などもあり、都心にあって自然を感じることが出来ますよ。
次は、千代田区立清水谷公園に行きました。
公園といっても、森です!
傾斜地にあって、江戸時代には自然の湧水があったそうです。
清水谷公園から赤坂見付駅の方に向かいます。
弁慶濠です。
写真の一番奥が、江戸時代にあった赤坂見付とも呼ばれる赤坂御門跡になります。
近くまで行って石垣の写真を撮ってくればよかったな。
以前撮った写真もあるのですが、それは辞めときます。
そして、江戸時代大きな池であった溜池の方向です。
見るからに低地になっているのが分かります。
ということで今回はこのくらいにしておきます。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
訪問日:2021年10月20日(水)
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