有名な話しであるが、品川駅は品川区ではなく港区にある。
そして、京浜急行の品川駅の一つ南側には、北品川駅と不思議な感を演じている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号) 以下の地図も同じ
現在の品川駅は、駅ビルが出来、新幹線の駅も作られた。海岸側は高層ビルが林立して、一大オフィス街となっている。
しかし、私が働きはじめた、30年以上昔は、東口には駅前広場もなく、土間の安い飲み屋があるような街であったと記憶している。
つまり、今みたいな華やかな街のイメージではなかった。
昭和54年:国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工
品川駅から高輪の方へ登っていく。
明治の始めまではJRの線路がちょうど海岸線であり、高輪のエリアの土を利用して、ペリー来航後の防衛施設としての台場を造ったとのことである。高輪を歩いているとその名残りが現れる。高台から急に直線と直線で形作られた崖が現れる。如何にも人為的に削ったと思われるのである。
海岸側の新興オフィス街と違い、高輪側は落ち着いた住宅街を形成している。
御殿山辺りは、南傾斜の高台と住宅にはモッテコイである。
その中に三菱関東閣がある。広大な敷地である。都心にこれだけの敷地を有するとは、さすが三菱財閥。伊藤博文の旧邸跡とのこと。
その西側は、閑静な住宅街となっている。
三菱関東閣の横の道は緑にあふれている。鉄道の音も都会の喧騒も聴こえて来ない。
この道路の脇に二等三角点(品川)がある。
3日前にもここを訪れた。
その時は、二等三角点を見つけることは叶わなかった。
でもあきらめない。敷地内で入ることが出来ない場所にあったとしても、遠目でも存在を確認したかった。
国土地理院の基準点成果閲覧サービスの地図と睨めっこ。
「あのビルの角とこのビルの角を結んだ線の外側で」っと、探すこと数分。
あった!
(大きな木の下あたり)
植栽の中、白い表示杭があった。
大きな木の下、低木が密集した中に白い表示杭があった。
(植栽の中、表示杭と保護石、標石)
よ〜く見ると、丸い保護石がある。標石の頭も。
達成感を感じた。
二等三角点「品川」 (品川区北品川6丁目7 付近)
訪問日:2019年5月12日(日)