今回は、池袋です。
池袋は、新宿などに続く、大商業集積地です。
池袋駅の乗降客数も1日あたり260万人。
数年前、豊島区は23区で唯一、消滅可能性都市に挙げられました。
しかし、ここ数年、すごく活気が出てきています。
東口の旧区役所跡の開発やサブカル文化の街などとして、
街に活気を取り戻そうと取り組んだ結果でしょう。
でも、取り上げるのは、池袋の西口です。
現在の池袋西口
現在の池袋西口は、駅に直結したルミネがあります。
このルミネ、メトロポリタンプラザビルの下層部にあたります。
上は、オフィスビルになっているのですね。
その先には、西口公園を挟んで東京芸術劇場 があります。
さらに進むと立教大学があります。
現在の航空写真に書き込むとこんな感じです。
こちらは、立教大学です。
蔦が絡まった煉瓦造りの校舎はいい感じです。
駅の方に戻って、東京芸術劇場です。
デザインも凄く素敵ですね。
地下では、池袋駅と繋がってて、雨の日でも傘を挿さずに行けます。
そしてこちらが、昨年暮れにオープンした池袋西口公園です。
円形の広場には、ステージも作られています。
駅に近い方にはカフェも出来てます。
メトロポリタンプラザビルも見えますね。
去年の12月のオープニングセレモニーは、盛大でした。
区長の挨拶はちょっと長かった(笑)けど、
池袋の活性化への意気込みは伝わりました。
セレモニーでは、地元の生徒さんも加わって、
歌劇「アイーダ」から勝利と凱旋の大行進曲が演奏されていました。
池袋西口公園のオープンイベント
— Musao(yama改め) (@MusaoNaga) 2019年12月18日
オーケストラによる演奏!#池袋 #西口公園 #小林研一郎 #オーケストラ pic.twitter.com/QJbarNhi7f
昔こそ若者の街
その西口公園の脇に石碑がありました。
と書かれていました。
左手の校章は、撫子(なでしこ)をモチーフにしているそうです。
説明文には、この様なことが書かれていました。
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沿革の概要
明治42年4月 この地に校舎新築・開校
明治44年4月 附属小学校開設
昭和18年4月 東京第二師範学校と改称
昭和22年1月 本校小金井の地に移転
昭和24年5月 東京学芸大学に発展し附属小学校は附属豊島小学校と改称
昭和39年3月 豊島小学校小金井に移転
昭和48年3月建之
豊島師範学校同窓会 撫子会
同 附属小学校 同窓会
令和元年11月
池袋西口公園整備工事に伴う記念石碑の移設時に記す。
東京学芸大学附属小金井小学校同窓会「撫子の会」
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昨年の公園の整備に伴って移設されたのですね。
現在の東京学芸大学の前身の一つが、
東京芸術劇場や西口公園にあったのですね。
さらに、メトロポリタンプラザビルの方にも。
メトロポリタンプラザビルの下層部は、ルミネです。
そのルミネの入り口の脇に蒸気機関車?の動輪が残されています。
横に説明文がありました。
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ここはかつて東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学に勤しんでいた場所である。
敷地面積37,000m2
大正13年(1924年)〜昭和29年(1954年)
またこの地は鉄道開通50年記念事業の一環として設立認可された財団法人鉄道育英会により設立した東京鉄道中学が東京鉄道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和57年まで存在していた場所でもある。
なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である。
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こちらにも学校があったのですね。
成蹊学園の発祥の地でもあったとは全く知りませんでした。
昔の状況
今、ルミネや通りを挟んでホテルになっているあたりを調べてみました。
1936年頃の航空写真に書き込むとこんな感じですかね。
立教大学だけでなく、昔は、
師範学校やその附属小学校、
鉄道教習所、
さらに中学高校、成蹊学園もあったというのですから。
本当、若者の街だったのですね。
池袋はどこ?
ここまで、つまらない記事をお読みいただきありがとうございます。
ここからは、 さらに面白くない方に行かせていただきます。
池袋あたりの地図を見てみると、あれって思われる人も多いと思います。
(そうそういないか?!)
さらに、西口が「池袋」で、東口が「東池袋」となっています。
池袋の街は、サンシャインや旧区役所あたりがメインですよね。
だったら、逆の地名になるのでは?と思いませんか?
明治45年に発行された「最新番地入り東京市全圖」の本当の隅に池袋が載ってます。
赤丸で囲んだところが、左か上から、
池袋停車場(池袋駅)、巣鴨監獄(現在のサンシャイン)、鬼子母神です。
存知のとおり、池袋駅は最初無かったのですよね。
1985年のl日本鉄道の品川線(品川駅から渋谷、新宿を経由して赤羽への鉄道)開通の時は、池袋駅は作られていませんでした。
その後、日本鉄道は、目白駅と田端駅を結ぶ路線(豊島線)を計画し、
結果、池袋で繋がることとなったとのこと。
その時に池袋駅が開業したんでしたよね。
そのあたりについてはこちらをどうぞ。
さらに遡り、明治11年の地図には、「雑司ヶ谷村」となっています。
(「實測東京全圖」より)
池袋村というのは無かったのですね。
池袋駅周辺は、池袋では無かったという結論になりました。
ということで、今回はこのくらいにしておきます。
その2では、池袋の池の痕跡を巡ります。
どうも最後まで読んでいただいた奇特な方、ありがとうございました。
訪問日:2020年6月9日(火)
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)