前回に引き続き、新宿区戸山公園にある箱根山です。
箱根山は、尾張徳川家の下屋敷として造られたことを前回書きました。
また、愛宕山よりも高く、山手線内で最も標高の高い箱根山が造られたこと。
他にも池なども造られたことを書きました。
でも、尾張徳川家の下屋敷、戸山荘の最大の特色、それはテーマパークだったのです。
と、私は思います。
戸山荘の中にこんなのがあったのです。
何だと思います。
別の戸山荘の説明板です。
大きな池の下に左右に広がっています。
小さくて見えないかも知れませんが、「御町屋」とあります。
何と、テーマパークを造っていたのです!
小田原宿を原寸大で再現しているのです。
長さ、何と通りの長さ約200m!
文献で調べてみると、色々な町屋が造られていました。
鍛冶屋、酒屋、瀬戸物屋、料理屋、小間物屋、米屋、たばこ屋、茶師、旅籠屋、茶店、餅菓子屋、提灯屋、花屋、弓屋、筆屋、紙屋、扇屋、、、
何と、37件の町屋を再現していたのです。
戸山公園内にある、説明板です。
将軍が御成りの時など、家臣がスタッフとして売り子などを務めたそうです。
庶民の生活に触れることのない、将軍や殿様。
ここで、庶民の生活を疑似体験出来たのです。
たばこ屋を覗き、茶店で饅頭食べながら休憩して、筆と紙を買って、料理屋で夕食とかしたのでしょうか?
どうですか? まさしくテーマパークでしょう?
まあ、家臣は大変だったでしょうけど(笑)
この、広大な戸山荘も地形と密接に関係していると思います。
大きな池を掘り、当時としては江戸一番の高さの築山を造る。
じゃあ、池に溜める水は何処から持って来たのでしょうか?
現在、新宿の歓楽街、歌舞伎町。
江戸時代には池があったそうです。
そこから、小川が流れて、戸山荘に来ていたとのこと。
下の地図は、明治期の低湿地の図です。
明治期の低湿地でも名残りが感じられますね。
標高地図では、こんな感じです。
歌舞伎町当たりから、戸山荘に小川が流れていたのでしょうね。
その小川の水を使って大きな池を造る。
池を掘った土を使って築山で箱根山を造った。
あくまでも私の想像ですが。
と言うことで、前回の訪問記から、文献などから私が興味を持ったことを書きました。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
来年は、本当に皆さまにとって良いお年となることをお祈りいたします。
そして、日本が、世界中が、普通の生活に戻ることを。
2020年12月31日(木)
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