1日に340万人が乗り降りする駅、新宿
駅の上には、ルミネなどのモール。
地下街にもショッピングモールが広がる。
歌舞伎町には、ゴジラビルや飲食店から風俗店まで。
さらに訪日外国人の観光地となった、ゴールデン街。
西口には、超高層ビル街のオフィス、ヨドバシカメラなどの電気店など。
小滝橋通りは、ラーメン街となった。
働く人、買い物する人、遊びに来る人、映画を観に行く人、、、
世界一の乗降客数の新宿駅。
新宿にある三等三角点「淀橋」
新宿駅の西、青梅街道の北に三等三角点「淀橋」はある。
標高は、36.89mとこれも高台と言えるだろう。
西新宿といえば、高層ビルが林立するオフィス街である。
西新宿でも青梅街道の北側は、未だに、中小のビルがひしめく、人間味のある街となっている。
飲食店などの店舗や専門学校、マンションなどが混在するエリアである。
三角点のある柏木公園は、その中にある。
サラリーマンや学生、休憩をしている作業員の方。
多くの人の一休みの場所となっている。
その南西の角に三角点「淀橋」はある。
最初に行った時は、見つけるのに苦労したことを覚えている。
植栽の中にやっと、表示杭を見つけ、探し当てることが出来た。
でも、標石が無いのである。
表示杭の周りの土を払い、標石の上部をやっと確認することが出来たのを覚えている。
今回の訪問では、場所もわかっており、簡単ではあった。
やはり、標石は土に埋もれていた。
土を払い、写真撮影。
保護石を置ける空間はあるのに、コンクリートの囲いの中にある、実務的な三角点である。
淀橋とは
三角点の名前の淀橋とは、
家電量販店のヨドバシカメラで有名ではあるが。
そもそも、新宿区は、以前は、四谷区と牛込区と淀橋区の3つの区が戦後一緒になって新宿区となったのである。
その以前は、東京市は15区で構成されていた。
東京の拡大共に周辺の町や村が多くの人が流入し、人口が増大していった。
各町や村が個別に行っていた水道などの行政を、一体で効率的に行うため大東京が作られることとなった。
昭和7年に淀橋区として東京市に編入されることとなったのである。
この時、杉並区や世田谷区なども編入され、東京市には35の区が出来ることとなったのである。
戦後、再編成が行われて、昭和22年に現在の23区になったのである。
新宿駅の歴史
新宿に最初に出来た駅は新宿駅である。
新橋横浜間の日本最初の鉄道が出来たのが明治5年。
しかし、その後、国は厳しい財政状況から、鉄道の開発は民間に中心が移っていく。
東京においても、日本鉄道が品川から赤羽に鉄道を敷いた。
まだ、新橋以北に鉄道はない時代である。
当時の鉄道は、人の移動のためでなく、荷物を運ぶことが主な目的であった。
羽村や立川などの多摩地域の産物などの東京や横浜(輸出のため)に運びたい。
ということで、甲武鉄道という会社が鉄道を敷く免許を取得した。
新宿を起点として、現在の中央線が作られた。
明治22年のことである。
日本鉄道が品川・赤羽間に鉄道を敷いた当時は、現在の伊勢丹やバルトナインあたりが新宿では栄えていた。
が、反対運動により、畑ばかりの夜には狐が出ていたという、現在の位置に作られたとのことである。
淀橋浄水場から高層ビル街へ
江戸時代に市民の飲み水を支えた玉川上水。
それも、明治に入り、玉川上水が流れるエリアの市街化も進む。
これに連れて、玉川上水の衛生面に問題が生じて来た。
排水の混入、動物などの死骸、さらにはコレラの発生など。
近代的な水道の整備が必要となっていった。
紆余曲折ののち、明治31年に淀橋浄水場が竣工・通水し、水道が東京市民に供給されることとなった。
その後、拡張などを行い、市民の飲み水を支えてきた。
ここで問題が。
つまり、浄水場はあるが、その恩恵を淀橋の住民は受けれなかったのである。
淀橋の住民が浄水場の水の供給を受けれようになるには昭和になるまで待たなければならなかった。
淀橋浄水場が出来た当時は、のどかな田畑の広がる片田舎であった。
しかし、鉄道の整備が進み、大正の関東大震災もあり、郊外化が進む。
新宿も同様であり、新宿駅の西側エリアの開発が期待されることとなる。
戦後は特に周辺の市街化は進んでいく。
昭和35年に東村山浄水場が完成し、機能を移し、昭和40年に淀橋浄水場は廃止された。
約70年に渡る浄水場に幕を閉じた。
そして、浄水場跡地に副都心が創られて行くことになる。
この時期は、新宿中央公園が整備され、区画も超高層ビルのため、大規模なブロックとなっている。
平成になり、都庁も出来、超高層ビルが林立していった。
そして現在、再開発が西に西に進んでいる。
これまでのオフィス街から、マンションも多く作られた。
三等三角点「淀橋」
新宿区西新宿7丁目14 柏木公園内
訪問日:2019年8月13日(火)
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