日本水準原点 国会前庭 昔は彦根藩井伊上屋敷

 

日本水準原点

国会議事堂の正面を背にして、大きな通りの左側を皇居方向に向かう。

すると、約70mで公園(国会前庭)の中に入る園路が現れる。

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園路を50mほど進み、右手に分かれ階段の園路を進む。

すると、右手に木々の間から、石造りの小さな家のような日本水準原点標庫が見えてくる。

高さ4.3m、幅は、4m弱の建物である。この中に、日本水準原点が位置している。

 

標高は、1891年の設置当初は、24.5000mであった。

その後、大正12年(1923年)の関東大地震により、24.4140mに、

さらに記憶に新しい、平成23年(2011年)の東北地方太平洋沖地震により、24.3900mとなった。

24mmも沈下したのである。


日本水準原点の横には電子水準点(東京 千代田)があり、電子水準点と日本水準原点が同時に写真に収めることができる。

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この、日本水準原点標庫の設計は、佐立七次郎である。

工部大学校造家学科第一期生で、辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵と日本の建築の草創期の人である。


国会議事堂を見に来たついでにの訪問なのか、多くの人が散策に訪れていた。

大学生と思しき数人のグループは、日本水準原点標庫を背景に記念写真を撮っていた。

訪日外国人の学生グループも散策中であった。

こちらは、水準点の存在より、皇居と国会議事堂の間にある公園という観光スポットとしての来訪のようであった。

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電子基準点 

基準点名は、東京千代田
日本水準原点と電子基準点が国会議事堂の前庭に位置していることが、その重要性を物語っている。

 

 

 

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彦根藩上屋敷から参謀本部陸地測量部に

 

国会前庭は、江戸の時代は彦根藩伊井家の上屋敷であった。

150年程の昔、今私が立っているこの地から井伊直弼が屋敷から出て行き、桜田門外の変で首をとられることとなった。

桜田門外の変という時代の変化の契機の一つの事件があった地と国会議事堂や日本水準原点の場所が重なることになっていることを思うと感慨深いものがある。


 その後、1872年に陸軍省などが設置された。

そして、ここに参謀本部陸地測量部として、地理、地形の測量、などを行った。

現在の国土地理院の前身である。

 

そして、1891年に、この地に日本水準原点が設置された。

 

このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)