まずは、大江戸線の終点、光が丘。
ここは、昭和の時代から開発された町である。
その中に、都内、最大級の公園の光が丘公園がある。
野球場、テニスコートなどのスポーツ施設や広場、そして、多くの木々。
大平洋戦争の時代に、成増飛行場が作られた。
その後、アメリカ軍の家族宿舎グラントハイツとして利用されてきた。
ちなみに「グランド」ではなく、「グラントハイツ」。
語源は、大統領にもなった、グラント将軍にちなんでとのこと。
返還後、開発され、新しい街となっている。
昔の滑走路が南北の歩行者専用道路・緑道として、光が丘公園につながる。
意外にも、この光が丘公園の下の一部は、水道水の給水所となっている。
一部と言っても広大であるらしく、区部の西部に配水しているとのことである。
災害時には、給水所として機能する。
街の開発
陸軍の成増飛行場から、米軍のグラントハイツへ。
そして、返還され、街づくり。
1/3は、公園として整備された。
三等三角点 「下土支田」へ
光が丘公園の西、本覚寺の中に三等三角点「下土支田」がある。
寺院と神社が並んで建っている。
本覚寺の説明が現地に書かれている。
(概略は以下のとおり)
本覚寺の菩薩像は、室町時代の作と伝えられ、近在はもちろん江戸市中からも信仰を集めていた。
北野神社(天満宮)とともに神仏習合時代のたたずまいを残している。
本覚寺の道路を挟んだお隣には、中仲寺がある。
仲台寺の説明も現地にあり、概略は以下のとおり。
仲台寺は、浄土宗の寺院で、天文年間(1532〜55年頃)に、現在の北区田端に創建された。
昭和20年戦災で焼失し、昭和36年、地元の要望で寺院小学校用地として提供し、この地に移転した。
三等三角点 「下土支田」
訪問日:2019年7月20日(土)
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