先日、三等三角点「八成」を訪問し、その後、妙法寺川を巡った。
今回は、妙法寺公園の上流を巡った。
井草川
しかし、この妙法寺池に流れ込む川がある。
それが井草川である。
川と言ってもほぼすべてが暗渠であり、昔の川の姿は想像出来ない。
この井草川の水源は、杉並区上井草四丁目にある杉並区の切通し公園とされる。
井草川は、切通し公園から、歩行者専用道路としての緑道としてはじまる。
最初から、開渠の川がない。
東へ流れ、杉並工業高等学校へ。
その後は、三谷公園で再度、緑道ははじまる。
三谷小学校の北側に沿って走り、徐々に北上を始める。
しばらく、西武新宿線と並行に行くが、再度、井荻駅の手間(所沢側)で線路の下を南に抜ける。
線路の下を抜けて、進路を東に変え、線路と並行して走る。
環八通りの下をクロスし、しばらく直進する。
その後、井荻駅を過ぎた辺りで南東に方向を変える。
しばらくして、南に方向を変え、最後は、妙法寺公園に北側かわ入り込んでいく。
地形の特徴
杉並区は大きな起伏の台地はない。
が、いくつかの谷戸で川が面白いほど並行して形成されている。
水源の切通し公園と善福寺公園は、直線で500mほどしかない。
(一番上の航空写真で一目瞭然)
わずかな距離の間に分水嶺がある。
ちょうど、青梅街道が分水嶺のところ走っているかと思ってしまう。
この狭いエリアに標高差のある台地があるかいうとそうではない。
少しの起伏の差が、異なる川を形成しているのである。
井草川の特徴は、高低差がない。
水源の切通し公園は、標高約45m、妙法寺公園の標高は約40m。
標高差は、5mほどである。
下の地図を見てもらいたい。
このエリアの標高差が少ないことがわかる。
標高40mから2mの刻みで微妙な高低差を見れるようにな表した。
その、少しの起伏が、井草川の流路を作っている。
井草川が流れるエリアの標高差は、ほんの僅か、2mほどである。
最大の標高差があるのは、上井草駅の南側あたり。
それでも、5mほどだと思われる。
水源からの直線距離は、1,900m。
しかし、川の長さは、3,500m。僅かな高低差をクルクルと周って走っている。
(いずれも私の計測値ですので参考値として)
井草川を巡って
水源地へ
まずは、水源の切通し公園に。
縄文遺跡があったところらしい。
この公園を入って行くと、だんだん傾斜して、下がっていく。
この傾斜地のどこかが水源だったのではとの感想。
公園を下がり切ると、傾斜地であることがよくわかる。
ここで、暗渠的なものが2つ。
右側が、低い位置なので、多分右側が名残りではないか。
右側を進むとさらに枝分かれする。
とりあえず、右側の如何にもって感じの方を進む。
杉並工業高校の敷地に沿って、その暗渠らしいものは伸びていた。
感じとしてはいい感じであったが、高校の敷地へかどこかで行き止まりとなってしまった。
もう一方の方も、高校の敷地の前の道路で終わり、高校の敷地へ入っているように思える。
結論としては、経路は不明であった。
あるいは、この辺り一帯が井草川だったかも知れない。
緑道を進む
三谷公園
三谷公園からも緑道で始まる。
三谷小学校と道灌公園の間の緑道。
このように、暗渠が続く。
四宮森公園から、西武新宿線の下を抜ける。
北側から見ると、開渠だった川の名残りがある。
橋としての線路、そして、脇にはツツジ?
線路を抜けると東に進路を変えて、矢頭公園に入っていく。
矢頭上橋の記憶を伝えるモニュメント。
井荻駅の手前でまた南下。線路の下を抜ける。
建物と建物の間に、川だった頃の形が残っていた。
踏切で線路を渡る時に撮影した。
やはり、線路は橋としての形状である。
線路の南側、柿木北公園からの、線路の状況。
やはり、昔の橋の感じがある。
環八通りの前は、歩行者専用道路から、広い道路に変化。
環八通りを抜けてもしばらくは広い。
環八通りの下を抜けているが、そこは駐輪場となっており、暗渠がどのように処理されているのか疑問である。
広い道路も、井荻駅を過ぎると緑道となり、やや、南に進路も変える。
最後は、進路を、真南に変える。
そして、緑道をひたすら進むと、妙正寺公園に。
公園内も暗渠て、妙法寺池に注ぐ。
川として生きていた頃
「写真展 レンズの記憶ー杉並、あの時、あの場所ー展示図録」の中に、井草川の写真がある。編集・発行:杉並区立郷土博物館である。
意外と最近まで、田園風景と川と子供たちが共存していたことがわかる。
井草川の周辺は長閑かな田園風景が広がっていた。
子供たちは、小川でザリガニ捕りなどで遊んでいた様子が写真に残っている。
上井草3丁目18付近 昭和35年頃 の写真(寺田義男氏提供)を見ると、まるでここが杉並かと疑ってしまう。
現在では、上井草スポーツセンターの南東あたりではないか。
寺田義男氏の写真を元に、想像図を描いてみた。
今は、暗渠となり、緑道として、公園の一部みたいになってしまった井草川。
でも、以前は、多くの人々の生活の中の一部に川があったのだろう。
生活排水などの混入、高低差が少ないことによる川の澱み・匂い。
時には水害も。そして、暗渠へ。
それらは、田園地域の都市化がすべての原因であったと思う。
「ただ、田園を宅地にする」、そんな街づくりを行う前に、
人間は、私たちは、もう少し出来ること、考えることが出来なかったのだろうか。
訪問日:2019年8月31日(土)
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