さて今回は、杉並区の大宮八幡宮の境内にある三等三角点「大宮」。
この三角点は、善福寺川の近くにあることから、善福寺川制覇にも挑戦した。
まずは、杉並区における、川の位置
杉並区内の三角点巡りを行なっていて、気になるのがやはり川である。
妙法寺川然り。
とりあえず確認の意味で杉並区内の川の位置関係を下に示す。
これといって、山と呼べるほどの高い山は無い。
でも、微妙な高低差で湧水が出て、川がいくつかある。
一番北が、石神井川。
(すいません、練馬区内で杉並区内を通っているかは要確認ですけど)
次が、妙法寺川。
これは、杉並区内を水源として、下落合あたりで神田川に合流する。
次が、暗渠マニアへの絶大な人気の桃園川。
さらに、善福寺川。
これも善福寺池(正確には二つの池から構成されているが)を水源としている。
方南町駅と中野富士見町駅の間の東京メトロ中野車両基地付近で神田川に合流している。
その南には、人工的に作られた玉川上水もあるが。
大体、こんな感じで良いのではないかと思う。
勿論、小さい川や今や暗渠となったものは他にも沢山あるとして。
杉並区とは
杉並区はどのように誕生したのか。
明治期以降について、ちょっと調べてみた。
明治5年の官営鉄道以降、私鉄が次々と開通していった。
杉並区内の最初の駅は、明治24年の荻窪駅。
多摩や山梨の産物の輸送が主な目的として出来た、甲武鉄道の駅だ。
20程あった村も、徐々に統合せれ、明治22年には、4つの村になった。
杉並村、和田堀(内)村、井荻村、そして、高井戸村である。
さらに京王電気軌道などの私鉄が開通していった。
大正12年に発生した関東大震災。
被害を受けた多くの人々が、郊外に移り住んでいった。
郊外の宅地開発も進められた。
そして、鉄道を中心に杉並区内の人口も爆発的に増加していった。
国勢調査による人口の伸びは以下の通り。
大正4年 大正14年 昭和5年
杉並村 4,769人 36,608人 79,191人
和田堀村 3,221人 11,668人 19,195人
井荻村 3,960人 10,864人 22,724人
高井戸村 4,319人 6,846人 13,418人
杉並村においては、何と、20倍弱に15年で増えている。
東京の人口流入、サラリーマン層の形成や職場に鉄道で通うというスタイルも背景にあったのだろう。
そして、4つの村が、昭和7年に、杉並区として東京市に編入された。
善福寺川巡り①
善福寺川は、善福寺弁天公園を水源としている。
総延長は、約10km。
僅かな高低差の中、蛇行に蛇行を重ねて進んでいく。
一度にすべてを掲載するのは失礼にあたるので、今回は、下の図の①と②の部分を対象としたい。
とりあえず、神田川を
下流から上流を目指すことにした。
しかし、少しは神田川を観察しないといけない。
特に理由は無い。ただ、そう思った訳である。
スタート地点は、山手通り。
山手通りから神田川を上流に向かう。
川幅は狭く、豪雨時が不安になるくらいである。
川の先には、西新宿の高層ビル街が間近に見える。
周辺の住宅も集合住宅が中心である。
水量もそこそこ多く感じられる。
ちなみに、川の両側は道路であり、自転車で走り易い。
弥生町まで来ると川の両側に戸建て住宅が多くなっている。
こんな、都心の近くなのに意外と閑静な落ち着いた住宅地区となっている。
さらに弥生町を進むと川の両岸に多くの緑が。
あれ、弥生町って、、、中野区であった。
ということで、いよいよ杉並区に。
神田川の右手側が中野区で左手が杉並区となる。
杉並側には、区画整理の記念碑が立っている。
昔は、一面の田園風景だったのだろう。
土地区画整理事業というと、郊外を宅地開発するとイメージがある。
そのイメージ通り、このあたりも大正期から昭和にかけて、郊外の宅地開発が行われたのだろう。
今からは想像も出来ない。
そして、合流地点
しかし、下流からさかのぼって来ていると、分岐点のようにも感じる。
何かいい。
二つの川が合流する景色の魅力は何だろう。
でも、何かいい。素敵な景色である。
善福寺川として
ということで、ここからが善福寺川である。
ここで一つ見つけた。
「AP +3.3m」
建築だと、TPであるが、川は、やはりAPですよね。
荒川が基準ですよね。(間違えていたらすいません。)
さらに進むと右手(北側)には、中高生の吹奏楽の憧れの場、普門館。
耐震不足のため、取り壊し?が決まって、普門館でコンクールが行われなくなった。
記憶間違いでなければであるが。
でも、まだ、解体工事中?ではあるが、姿が見える。
(写真は上流側から撮ったために左手の建物)
さらに進み、環七通りを抜けて行くと、「善福寺川取水施設」。
環七通りの地下に、シールドマシーンで巨大なトンネルがある。
地下の調節池である。
まずは神田川からの取水口を整備し、調節池として供用を開始した。
現在は、善福寺川、妙法寺川にも取水口が造られ、洪水対策として機能している。
その善福寺の取水口が下の写真である。
「環状 七号線地下調節池」だけでも、何回かブログが書けるような、巨大なプロジェクトとである。
人間だけでない
さらに上流に進むと、和田堀公園が両岸に広がっている。
トラック運動場、野球場、テニスコートなどのスポーツ施設。
自然林、ちびっ子広場などなど。
土曜日の訪問だったので、多くの人が憩いの時間を過ごしていた。
人間だけでない。
動物にとっても善福寺川は生活の場でもあっt。
(日陰の欄干で休憩中の鳩)
(水面で、食事中のカルガモ?)
(川を見つめ佇む少年!)
パグも親子三代の家族と一緒に散歩。
地形は
善福寺川のエリアの高低差がわかる地図を作ってみた。
1番低いところを基準に、標高20mから4m刻みで作成。
方南通りが、神田川と善福寺川を分けるように尾根沿いを走っている。
いずれにしても、微妙な標高差により、川が作られている。
環八通りに近づいて行くと、南岸の方はやや高めの台地となる。
三等三角点「大宮」
杉並区にある三角点も今回で4箇所目。
でも、行ったけど、確認出来なかった三角点も2箇所ある。
今回は、大宮八幡宮の境内にあることから、確認は容易に出来ると思っていた。
初めての大宮八幡宮。
最初の鳥居を見て、その大きさにため息が出る。
広く、密生する樹々。
神聖な神社の杜の大きさに驚いた。
由緒ある神社であることを入り口で感じる。
鳥居を抜け、木々に中の少し涼しい参道を進む。
すると、門が現れる。
これも大きい。
さて、こんな大きな神社で、三角点を見つけることが出来るのだろうか。
少しずつ不安になる。
拝殿も立派である。
切り妻破風に、唐破風。
そして樹齢もありそうな高木が本殿を取り囲む。
確か、拝殿の脇にあるはず。
倉庫のような仮設の建物方に行くと、、
あった。
近づいて、大木の脇に標石がある。
「三等」もしくは「国」の文字が標石に書かれていないかと、少しだけ周りの砂を払ってみた。
見えない。もう少し砂を払ってみたい気持ちもある。
やめておこう。きっと、書かれている筈である。
三等三角点 「大宮」
杉並区大宮2丁目3−1 大宮八幡宮 境内
訪問日:2019年8月31日(土)
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