江戸の水道【東京都水道歴史館】

 新型コロナの中、外出を控えてます。

家にいるのもストレスになりますね。

 

ということで、以前行った、東京都水道歴史館の写真をあげますね。

東京都水道歴史館は、本郷給水所に隣接して建ってます。

本郷給水所は、淀橋浄水場と芝給水所と共に近代水道の幕開けに造られた歴史的な場所です。

 

 

 

東京都水道歴史館

 

江戸市中に張り巡らされた、木製の水道管です。

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繋ぎ目のとことですかね。

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 井戸の下部などの色々な部材ですね。

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こんな感じで長屋の井戸まで来ていたのですね。 

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サイフォンの原理で段差も解消! 

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長屋の交流の場だった井戸端。

地下水を汲み上げる井戸では無いんですよね。 

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もちろん、水は無料ではありませんでした。 

複数の料金が掛かっていたようです。

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東京都水道歴史館の位置と神田上水遺構の位置、

それと、

神田上水玉川上水の位置を地図に落としてみました。

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水道網の整備

家康が江戸の町づくりに着手し、

最初に小石川上水が整備されたようです。

 

その後、井の頭池を源とする、

神田川の水を利用して神田上水が整備されました。

 

水戸藩邸(現在の後楽園あたり)まで、

開削で導水したようです。

 

10年くらい前に、

文京区の小学校の取り壊しの際に、

遺構が発見されました。

その時の発表会の写真を探したのですが、

見つけられませんでした。 

現在は、「神田上水旧白堀跡」として

京福祉センターに遺構が残されています。

 

さらに、江戸の人口は増加の一途。

対応する必要が出てきました。

 

そこで、有名な玉川上水ですよね。

多摩川羽村から四谷大木戸まで、

約43km、標高差約92mです。

武蔵野台地の尾根筋に沿って、

作られた、先人の作った偉業ですよね。

 

1654年には、江戸城をはじめ、

四谷、麹町、赤坂の台地や

芝や京橋方面まで給水出来るようになりました。

 

ここの付近の話しは、

東京都水道局のHPに詳しく書かれています。

 

www.waterworks.metro.tokyo.jp

 

水道料

気になるのは、水道料金があったのかといこと。

 

「水銀」という、いわゆる使用料があったようです。

大名は、石高に応じて、

町人は、敷地の間口に応じて

料金が決められていたようです。

ちなみに、当初は、1間あたり年16文だったようです。

安いですね!

二八蕎麦と同じ値段です。

(2×8で16文!江戸の人の洒落はすごい!

 繋ぎと蕎麦粉の割合で二八蕎麦ですが。)

 

それ以外に、色々あったようです。

修理の費用は、 「普請金」と言って、

水銀と同様に徴収されていたようです。

 

そして、。この玉川上水は、

明治期の終わりまで、活躍してました。

 それにしても、先人に感謝ですね。

 

今回の新型コロナとの戦いに、

欧米のような都市封鎖では無く、

日本人の民度の高さを武器に

私たちも打ち勝ち、

未来の人の事例として残したいですね。

 

 

2020年4月9日(木)

 

このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。

このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。