今回は、市ヶ谷の防衛省の敷地内にある三角点です。
三等三角点「市ケ谷」
防衛省に入ることは難しいと思っていたが、防衛省見学(市ヶ谷台ツアー)なるものがあった。
防衛省の見学も興味があったことから、施設の見学のついでに三角点も見れればいいなと思い参加を申し込み、行ってきた。
防衛省の敷地内に、メモリアルゾーンという場所がある。
昭和25年の警察予備隊創設以来、国民の命と財産を守るため、そして、国際平和への活動を行なって来ている。
その中で、訓練演習、災害派遣などの活動において、2,000名近くの殉職者がいるとのことである。
「メモリアルゾーンのご案内」(防衛省)より転載。
あまり知られてはいないが、少なくとも、私は知らなかった。
その殉職された隊員に敬意と哀悼の意を永久に捧げるために「自衛隊殉職者慰霊碑」が作られた。
この慰霊碑がある、メモリアルゾーンの中に、三角点「市ケ谷」はある。
メモリアルゾーンにあることは、国土地理院の基準点成果等閲覧サービスから特定出来ていた。
防衛省の正門入って右側の場所にメモリアルゾーンはある。
地図でいうと赤丸で示したところである。
このメモリアルゾーンの植栽帯の中にある。
すぐに確認出来ると思っていた。
しかし、植栽の中にすぐには見つけられなかった。
三角点を見ることが見学ツアーの本来の目的ではいから、諦めることとなった。
またの機会ということである。
残念だが。
市ヶ谷台の歴史
現在の防衛省の敷地は何と、25haもあるとのこと。
都心部にこれだけの敷地もそうそう無いだろう。
江戸時代は、江戸城の西からの守り役を担っていたのである。
幕末期の尾張藩上屋敷 「市ヶ谷記念館 市ヶ谷台の歩み」(防衛省)より転載。
明治に入り、陸軍士官学校などとして利用された。
太平洋戦争の頃には、大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部として使われていた。
陸軍士官学校の体育授業風景 「市ヶ谷記念館 市ヶ谷台の歩み」(防衛省)より転載。
戦後は、極東軍事裁判の法廷として利用された。
その後は、GHQ司令部、将校宿舎、アメリカンスクールを経て、1956(昭和31)年に返還された。
1960(昭和35)年から陸上自衛隊などが使用し、2000(平成12)年に六本木から防衛省が移転し、現在に至っている。
防衛省見学
さていよいよ市ヶ谷台ツアーの様子を書こう。
正門を入ると傾斜地にあることがまず感じられる。
正門の位置は、靖国通りと同レベルであり、標高15m前後である。
エスカレーターで敷地の大部分は台地上に上がると、標高は33mである。
20m近くの標高差がある。
ちなみに、三角点「市ヶ谷」の標高は、28.86mである。
エスカレーターで台地上に出ると、庁舎がある。
写真左側に見える鉄塔は、高さ220mを誇るらしい。
庁舎の西側に市ヶ谷記念館がある。
記念館の内部は、陸軍士官学校の大講堂を移築?してある。
この講堂が、極東国際軍事裁判の法廷として使われたのである。
士官学校の卒業式などには天皇陛下も御臨席賜わったとのことで、玉座も設けられている。
また、天皇陛下の控え室もあり、見学ができた。
下の写真は、大講堂の床である。
昭和9年に作られた当時の部材を組み合わせて復元している。
7,200枚の一枚一枚を番号を付して、復元したらしい。
ただし、399枚は使用できず、その部分は3枚で四角形を作っているところを一枚の板で作っているとのことであった。
警察予備隊として創設された時の看板。
(看板と言うのかはわからない。)
こちらは、防衛庁の頃。
スリバチ地形の宝庫
市ケ谷の辺りは、台地と谷・川が入り組んだ地形となっている。
少し、高低差がわかる図にしてみた。
そして、市ケ谷の辺りは、スリバチ地形がたくさんある。
有名な、あの荒木町も近い。
そして、スリバチ地形を地図にマークしてみた。
いくつものスリバチが見られる。
明治に入り陸軍士官学校。
戦後は、GHQの将校宿舎などの変遷を経て、現在、防衛省となっている。
江戸城の守り役が、現在も国の守り役の敷地になっているとは面白いものである。
防衛省敷地内
訪問日:2019年9月30日(月)
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