半蔵門から市ヶ谷門まで歩きました(2)

前回は、半蔵門から市ヶ谷門までのミニ江戸時代散策を書きました。

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地下鉄半蔵門駅の北側の出口から内濠に出て、番組の登り降りの地形を散策し、市ヶ谷の外濠まで。

 

bullbull-musao.hatenablog.com

 

今回は、地図を見てみましょう。

前回歩いた場所は、ここでした。

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ここの高低差ですがこんな感じです。

前回載せたのが分かりにくいので、作り替えました。

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2m刻みで作ってみました。

わずか1kmの距離の間にこれだけの起伏があるのは驚きです。

 

断面図で見るとこうなります。

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南法眼坂が急坂なのがわかりますね。

 

この辺りは、江戸時代は旗本や御家人の屋敷があった場所です。

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上の切り絵図を見てもお分かりの通り、町屋がほとんど無いのですね。

また、大名屋敷も今のイギリス大使館の場所くらいにしかありません。

 

江戸城が攻撃されたときの一番の弱点が半蔵門なので、旗本、御家人に配置したと何かで読んだ記憶があります。諸説あるのでしょうけど。

上の切り絵図は、1860年代の幕末の切り絵図です。

一番上の現在の地図と比べて見て下さい。

方位が違うので見にくいと思いますが。

どうでしょう?、道があまり変わっていないでしょう。

 

昭和からの航空地図も見てみましょう。

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昭和から現在までもあまり区割りが変わって無いですよね。

 

東京都内は木造密集地域などが街の防災の観点から再開発されているところがたくさんあります。

四ツ谷駅の西口(外濠の外側)も市街地再開発事業での再開発ビルが昨年竣工しました。

しかし、このエリアは区間がそのまま残っているのです。

町屋ではなく、旗本や御家人と比較的大きな敷地のエリアだったのが理由かななどと思ってます。

小さな敷地の戸建て住宅だったところが幾つかまとめられてマンションになっているのはあるでしょうけど。

 

などと地図を見ながら妄想に耽るのもいいですね。

 

ということで最後までお付き合い頂きありがとうございました。

 

2021年10月11日(月、今年だけは祝日では無い)

このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものである。なお、以下の承認も受けている。

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)

 

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