有栖川宮記念公園にある三等三角点「本村町」

 

広尾


広尾といえば、東京の屈指のお洒落な街の一つ

そこに有栖川宮記念公園がある。

 

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公園の前の道は、「南部坂」。

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ここは、江戸時代は、盛岡藩南部家の下屋敷であった。

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その後、時代は移り明治。

明治29年(1996年)、皇族家の有栖川宮家の御用地となった。

 

 

有栖川宮と言えば、

 

明治維新の時、皇女和宮の婚約者が当主であった。

その婚約を破棄して、徳川14代将軍家茂の正室として嫁いだ。

その後、有栖川宮東征大総督として戊辰戦争を指揮するという数奇な宿命を辿る。

 

大正の時代には、高松宮家の御用地となる。

昭和9年(1934年)故有栖川宮殿下の命日に、高松宮殿下が公園として東京市に賜与された。

 

 

三等三角点「本村町」

 

ここに、三等三角点「本村町」がる。

 広尾側から公園に入ると、北東の端になる。

表示杭も保護石はないが、標石が園路からしっかり確認出来る。

柵も無いので間近で撮影。

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私は、初回、麻布十番から広尾へ。

2回目は、逆のルート。

 

坂だらけの街

 

広尾駅麻布十番駅も谷にあたるところにある。

この二つの間は台地となっている。

 

仙台坂、大黒坂、一本松坂、薬園坂など、たくさんの坂がある。


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さらに六本木の方を見ると、すり鉢も。

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さて、ここの地形は

 

六本木から一部のすり鉢を作りながら、台地が南に伸びている。

その先端に、三角点があることがわかる。

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古川

 

さらに地形をよく見ると、谷を渋谷駅の西側から川が続いている。

山手線に沿って、南に流れ、恵比寿駅辺りから徐々に東に流れを変える。

この辺りから、渋谷川から古川と名前を変える。

 

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そして、南麻布の台地を囲むように北に流れを変える。

麻布十番で、台地と台地の間を縫うように東に流れを変え東京湾に向かう。

 

目黒川は、その水辺が年中賑やかである。

春は桜、冬はイルミネーション。

お洒落なカフェや店が並ぶ。

 

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古川は、宇田川などと違い、開渠となって生き延びている。

折角の開渠の川。

首都高が上部を塞ぐ。ある意味で暗渠なの?

 

坂は、江戸時代の名残りが、

古川は、首都高というある意味での暗渠化されて、水辺が消えた。

将来、再生されて、みんなに親しまれるようになるといいのにな

 

三等三角点「本村町」(港区南麻布6丁目  有栖川宮記念公園 敷地内)

訪問日:2019月6月28日(金)、7月7日(日)

 

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