三等三角点「王子」
王子から十条に行く途中の王子台小学校の敷地内に三等三角点「王子がある。
赤羽台地の端にあり、東に隅田川方向を見下ろすところにある。
赤羽台地の端に沿って、素晴らしい崖の下を京浜東北線が走っている。
日本の鉄道の草創期に日本鉄道という私鉄が上野から赤羽を経由して北関東へ、さらに青森に向けて作られた、初期の鉄道である。
赤羽台地は、崖下との標高差15mほどの台地である。
ただ標高差があるだけでなく、その傾斜が急ながけとなっている。
何て素晴らしい崖地!
現代では、高層のビルが林立しているが、江戸時代などはのどかな田園風景が遥かに望めたのだろう。
三角点は、百葉箱の脇にあり、道路に隣接している。
学校の管理者の手を煩わせることなく、路上から撮影ができた。
これも保護石に囲まれた、正式な三角点である。
百葉箱と共にあることから、子どもたちにも三角点の存在はわかってもらっているのだろう。
人知れずある三角点が多い中、幸せな三角点である。
王子神社
三角点から崖線沿いに南に行くと、王子神社がある。
台地の端に広い杜を抱き、剛健な佇まいである。
何というのだろう、破風が二重にある。
下部は唐破風で、上部は切り妻風の破風である。
由来は、以下の説明があった。
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元亨二年(1322)、豊島郡を支配していた豊島氐が、熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀られるようになりました。これにより、村名が岸村から王子村にあらためられ、王子という地名の由来になりました。
(略)
江戸時代には、徳川家康が社領として二百石を寄進しました。(略)
紀州徳川家の出であった八代吉宗は、紀州ゆかりの王子をたびたび訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。
(略)
平成二十五年 東京都 北区教育委員会
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江戸時代、市民の遊興の場としての飛鳥山の桜も王子神社がきっかけだったとは。
王子駅と 石神井川
京浜東北線だけでなく、高架上は新幹線も走り、さらに都電も走る王子駅。
水害対策なのか、JRの線路の前で分水され、飛鳥山の下にトンネルが掘られバイパスの水路が作られている。
写真右手から、石神井川、中央と左手が分水からのバイパスの出口と思われる。
左手と中央の違いは何であるか興味あるところである。
(京浜東北線、新幹線そして都電、揃い踏み)
河川争奪があった石神井川
台地を削る前の昔は、上野の不忍池方面に流れていたとのことである。
それが人為的に開削したのか、自然の成したことか確かなことはわかっていない。
石神井川が、90℃南に南下することを考えれば、水量が多い時に、台地を少しずつ削ったと考える方が自然であると思うのだが。
王子駅の西側は、江戸時代から渓谷として有名であったらしい。
当時の風景絵でも描かれている。
現在の風景も昔を彷彿させる。
(駅の西側直ぐのところ。水量は少ない。)
(水辺の憩いの場ともなっている。)
(音無さくら緑地:以前の蛇行していた名残りか)
(分水される前のところ。水量はそこそこある。)
台地と川の戦い、
王子の地名の由来、
その後の将軍吉宗が作らせた飛鳥山の桜
すべてが地形が底辺にあったのだろう。
三等三角点「王子」
東京都北区中十条1丁目5−6 区立王子台小学校敷地内
訪問日:2019年8月18日(日)
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