今回は、南千住にある三角点。
三等三角点「南千住」
千住は、江戸時代の四宿の一つである。
日光街道、奥州街道の江戸の玄関、そして、水戸街道も千住から発していた。
また、北関東・川越方面からは隅田川(荒川)の水運で木材をはじめ、物流の拠点でもあった。
つまり、人と物の流れの要所であったのである。
三等三角点「南千住」は、JR常磐線の南側にある。
線路と線路のわずかなスペースに延命寺と墓地があり、その一画にある。
南側の線路はJR貨物の線路であり、高架で走っているのは東京メトロ日比谷線である。
南北に走る道路から延命寺を見ると大きな石像が見える。
大きな地蔵菩薩である。
「小塚原の首切り地蔵」と呼ばれている。
この地は、江戸時代、鈴ヶ森と並ぶ刑場であった、小塚原の刑場であった。
刑死者や行倒れの無縁供養のために作られたとのことである。
その地蔵菩薩の足下に三角点はある。
この石の下に三角点の標石がある。
南千住の地形は
南千住周辺の地形は、どのような場所なのか?
隅田川と荒川の間の地域は、特に標高が低い。
水害対策として、荒川放水路が造られたくらいのエリアである。
下の地図は、標高が分かりやすいように作ったものである。
南千住周辺の標高の低さが分かると思う。
南千住の移り変わり
南千住周辺の地図を色々と見てみた。
これは、現在の地図である。
南千住駅の東側は、商業施設や集合住宅が整然と出来ている。
航空写真で見ると次の通り。
貨物のターミナル駅も下の通り。
隅田川沿いも下の通りである。
しかし、昔の航空写真を見てみると、現在とは大きく異なる。
鉄道と水運が共存していた。
共存と言うより、補完しあっているように見える。
集合住宅が建っている辺りは、工場もある。
紡績会社の工場が操業していたとのことである。
隅田川沿いは、水運を利用しての工場が多くあったと言うことが、航空写真でも確認できた。
昔の街道、川の舟運。
その後は、大きな工場。
現在は、住宅地と変遷してきた。
三等三角点 「南千住」
訪問日:2019年9月15日(日)
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)
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