霊岸島水位観測所と一等水準点「交無号」

今回は、霊岸島水位観測所と一等水準点「交無号」への訪問記です。

富士山の標高は、◯◯mなどと言いますよね。

その標高とは、どのように定められているのしょうか。

 

 

霊岸島ってどこ?


霊岸島水位観測所は、隅田川の河口にあります。

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元は、少しだけ、30mほど上流側にあったそうです。

現在は、「新川」という町名ですが江戸時代は「霊岸島」という四方を川や堀で囲まれてました。

 

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南高橋:大正の関東大震災で損害が少なかった両国橋の一部を再利用して造られた鋼鉄トラス橋。土木学会選奨土木遺産です。)

 

霊岸島水位観測所の近くに、江戸湊の記念のモニュメントがあります。

江戸幕府が江戸湊を築港し、江戸の町を支える水運の中心だったらしいです。

まさしく、江戸からの、また、江戸への、水運の起点だったのですね。

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また、西側の堀から「八丁堀」という堀が現在の東京駅の方向に伸びていました。

隅田川の反対側には、大川端リバーシティタワーマンション群があるんです。

江戸時代は、隅田川(大川)を挟んで、石川島や佃島があったようですね。

現在は大川端リバーシティがこの島の北端にある訳ですね。

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中央大橋

 

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(新川から見える大川端リバーシティ


という訳で、現在の地図と江戸時代の地図を較べてください。

なお、江戸時代の地図は、私が描いた『こんな感じだったんじゃないか地図』ですが。

 

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霊岸島水位観測所って何?

 
現在の日本の水準原点は、測量法という法律により国会議事堂と皇居の間にある、国会前庭にあります。

そこが、日本水準点で、東京湾の平均海面上24.3900 mと定められています。

ちなみに東京湾平均海面をT.P.と言いい、つまり、東京湾平均海面は、T.P. 0mということですね。

この水準原点の高さをもとに、山の高さや土地の高さを標高(T.P. )◯◯mというようになってます。

 

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日本の近代測量は、明治初期に初まったとのこと。

最初は、主ないくつかの河川の河口部に潮位を測る装置を設置して平均海面を確定していきました。

日本で最初の潮位を測る装置(量水標)は、明治5年(1872年)に利根川の河口に設置されました。

その翌年、明治6年1873年)に霊岸島に作られました。

そさらにその翌年には、江戸川と淀川の河口に設置されていったとのことです。

 
その後、日本全国の統一した平均海面が考えられ、その時に選ばれたのが霊岸島水位観測所でした。

 


日本水準原点


千代田区永田町に「日本水準原点」が設置されています。

水準原点が納められている建物がこれまた立派です。

日本水準原点標庫というたてものです。

下の写真がそれです。

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この日本水準原点標庫は、国会議事堂と皇居の間にある、国会前庭にあります。

この場所は、明治期に陸軍が置かれていて、陸軍の一部署として測量部があったことから設置されたとの説明を以前受けたことがあります。

この日本水準原点霊岸島水位観測所の水準測量を行い、明治24年(1891年)に日本水準原点の高さを24.5000mを基準としたとのことです。

その後、関東大震災で、この基準点は24.4240m変更され、さらに東日本大震災で、24.3900mに改訂されました。

地震の影響で永田町の日本水準原点の高さがこれだけ動いたということですね。


しかしながら、大正、昭和と東京湾の埋め立ても進み、現在では、神奈川県の三浦半島油壷の観測所に平均海面を測量する機能は移されています。

 

 

霊岸島水位観測所の現在の働き


あー、霊岸島の水位観測所の役割は終わったのか。

と思った方もいたでしょう。

 

でもでも、現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事や河川の水位の基本としてのデータも観測として、現在も働き続けているのです。

この霊岸島水位観測所の水位は、A.P.(Arakawa Phil)として使われています。


先日の台風19 号の時、荒川下流河川事務所のHPには、

『 令和元年10月12日20時50分

台風第19号の降雨により、岩淵水門地点の水位がAP+4.0mに達しました。
このため、岩淵水門を閉鎖し、隅田川への洪水流入を防ぎます。』

との表示がされました。

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(荒川と隅田川の間にある岩淵水門) 

このように、東京の河川では、霊岸島水位観測所を基準としたA.P.が重要な働きを担っているのですね。


霊岸島水位観測所の施設の写真をも一度見てください。

三角形が逆さまになっていますね。

その三角形の尖った先のポイントが、A.P. 0mとなっているそうです

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一等水準点「交無号」

 

さて、霊岸島水位観測所の近くに一等水準点があります。

その名前も「交無号」。

水準路線が交差することからの「交」と、0を意味する「無号」からとの説明がありました。

 

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埋め立ての歴史

 

最後にこのエリアの埋め立ての水位を航空写真で見てみましょう。

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以前、荒川放水路についてブログを書きました。

一つの大事業を行うためには、表舞台には出ない多くの下支えや基礎研究があるのです。

今回の霊岸島水位観測所というような地味でも、実は、現代の私たちの生活の礎としての役割を担っているのですね。

そう、まるで、地図みたいに。

 

 

一等水準点 「交無号」  標高 3.2096m

東京都中央区新川2丁目付近

訪問日:2019年11月4日(日)

 

このWebページで使用している地図は、国土地理院地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。

この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)

 

 

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