今回は、相模野基線です。
「相模野基線」については最後に書くとして、
まずは三角点を見ていきましょう。
どこにあるの?
訪問するのは、
一等三角点「下溝村」、「座間村」、そして三等三角点「基線中間点」です。
一等三角点「下溝村」
住宅地の中を入っていくと、広いスペースが確保されていました。
道の右手です。
道路から見るとこんな感じです。
三角点が、国土地理院の石板もあります。
しかも、下には土木学会の選奨土木遺産の指定を受けている表示板もありました。
保護石は無いのですが、コンクリートと囲まれれて、
しかも、玉石みたいな丸い白い石でで着飾っています。
国土地理院の石板には、次のように書かれていました。
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当基線場は、日本の近代測地測量を実施
するにあたり、明治15年日本で最初に設
置されたものです。
南、北両端点間の長さ、5209.9697mを
もとにして我が国の地図は作られたました。
最近では、この長さの変化を精密な繰り
返し測量で見つけて、地震予知等に利用し
ている大切な測量基準点です。
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一等三角点「座間村」
次は、一等三角点「座間村」です。
こちらは、探し当てるのにちょっと手間取りました。
スーパーマーケットの先の道路の住宅地にありました。
道路の左手になります。
柵の中にありますが、よく見ることができます。
こちらにも国土地理院の説明の石板がありました。
ちなみに、北端点に書かれているのと全く同じです!?
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相模野基線南端点(一等三角点「座間村」)
この相模野基線南端点(一等三角点「座間村」)は明治15年(1882年)に当時の陸軍省参謀本部測量課(後に陸地測量部、現在の国土地理院)が全国の三角測量を実施するために設置したもので、日本の測量や地図を作る上で重要な役割を果たした、最古の一等三角点の一つです。
相模野基線には、この北西方向約5.2kmに相模野基線北端点(一等三角点「下溝村」相模原市南区麻溝台4丁目4099-2)があります。
当時の測量は、三角測量という角度を測るものでした。角度を測るだけでは三角形の大きさが決まりません。そのため、一辺の長さを正確に測定し三角形の他の辺の長さを計算しました。「座間村」と「下溝村」は、この一辺の端点であり、この辺長測量のことを基線測量といいました。相模野基線を三角形の一辺として、一等三角点「長津田村」(現横浜市緑区長津田)及び一等三角点「鳶尾山」(現厚木市)を頂点とする三角形が形成され、さらに日本各地の一等三角点へつながっています。全国の一等三角点網は、大正2年(1913年)に完了し、二等・三等三角点の整備も進められ、大正13年(1920年)には全国を網羅する縮尺5万分の1地形図がほぼ完成しました。
また、相模野基線上の座間市相模が丘2丁目17番地先の道路マンホール下には、明治35年(1902年)、当時の測地学委員会によって設けられた「基線中間点」(四等三等点)もあり、市指定重要文化財となっています。
相模野基線では、測量技術の進歩とともに数回にわたり測量が行われているほか、大正12年(1923年)の大正関東地震や東北地方太平洋沖地震の地殻変動による地形変化の様子を知るための観測も行われ、現在も重要な役割を果たしています。
なお、相模野基線は、平成22年(2010年)12月に公益社団法人土木学会により選奨土木遺産として近代の重要な土木遺産として認定されました。
この相模野基線南端点は民有地にあり、所有者の長年のご理解により大切に保存されています。
平成25年11月
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こちらの方は、詳しく、わかりやすく書いてありました。
それに土地所有者の方の善意にも感謝ですね!
三等三角点「基線中間点」
最後は、小田急相模原駅に戻ります。
駅の南側にあります。
あるのは、道路上です。
マンホール型ですが、「相模野基線中間点」と
マンホールにわざわざ書いてありました。
相模野基線とは
さて、「相模野基線」とは、何でしょう?
相模原市教育委員会が地図を交えて細かく説明してくれています。
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相模野基線北端点は、明治15年(1882年)に陸軍参謀本部測量部(現在の国土交通省国土地理院)が地形図全国整備計画に基づき、近代測量の最初の基点である相模野基線を設けるにあたって、同基線の北端で当時の高座郡下溝村に設置したものです。
なお、相模野基線は、北端点と当時の高座郡座間入谷村に設置された南端点(現在の座間市ひばりが丘1丁目)とを結んだ直線のことをいいます。明治15年に、両端点間の実測測量がヒルガード基線尺を用いて行われ、その基線の全長距離5209.9697メートルが算出されました。
その成果をもとに、明治16年(1888年)4月から三角測量が開始され、「相模野基線網略図」のように順次(網略図の①〜③)、基線を拡大することにより一等三角網(平均距離40kmごとに設置されている一等三角点により形作られている)が形成され、より大きな三角網の基線となる一等三角点の丹沢山と鹿野山(網略図の③)の間の距離が算出されました。
そして日本経緯度原点(東京都港区麻布台)と丹沢山、鹿野山を結ぶ三角形の各辺を基準として、日本全国に一等三角点網が形成されていきました。それらに基づいて作成された地形図は、途中に縮尺の変更等がありましたが、大正14年(1925年)には全国の50,000分の1 地形図として完成しました。
その後、相模野基線は明治35年(1902年)鋼鉄巻尺、明治43年(1910年)、大正13年(1924年)にはインバール基線尺、昭和47年(1972年)には光波測距儀、平成7年(1995年)にはGPS測量機、そして平成24年(2012)年にはGNSS測量機で7回の観測が行われました。このうち関東大震災後に行われた大正13年の観測では明治43年の観測と比較して約24センチメートルの変動量が観測されています。また、平成24年に行われた観測では東北地方太平洋沖地震後の変動が注目され、平成7年の観測と比較して、1.5センチメートルの差があることがわかりました。
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地図で見るとこんな位置関係です。
さらに、相模原市教育委員会の説明にある鹿野山とかは、こんな位置関係です。
下は、国土地理院が出している基線の説明です。
本当に、地図作りって大変なんですね!
(出典:国土地理院の説明資料)
一等三角点「下溝村」
一等三角点「座間村」
三等三等点「基線中間点」
訪問日:2020年2月23日(日)
このWebページで使用している地図は、国土地理院の地理空間情報ライブラリーからの地理院地図を加工したものであ。なお、以下の承認も受けている。
この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の地理院タイル(数値地図2500(土地条件))、地理院タイル(数値地図5000(土地利用))及び地理院タイル(土地利用図)を複製したものである。(承認番号 令元情複、第197号)