「比叡山に行って来た」のその2は、坂本!
石垣の町、坂本
京都駅から北東、約15kmの位置にあります。
または、地下鉄の東西線の三条駅から京阪京津線でびわ湖浜大津駅まで行き、
JRと京阪で微妙に駅名を違えているのが笑えますね。
坂本の町は、卍だらけの町です。
延暦寺で修行をしたお坊さんの里坊が沢山あるとのことです。
穴太衆積み
穴太衆は、安土桃山時代に活躍していました。
きっと、安土城の石垣も造ったのでしょうね。
いたるところに石垣が残っています。
安土桃山時代に活躍した穴太衆の痕跡ですね。
穴太衆積みの説明板がありました。
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坂本では、延暦寺の里坊のみならず、街角の神社や古い民家の石塀などに特異な石積みが見られます。
これは「穴太衆(あのうしゅう)積み」と呼ばれ、坂本の大字穴太の一体に古来より居住し山門の土木営繕的な御用を務めていた穴太衆の技術によるものです。
これは、門前町の重要な景観要素となっており、ことに日吉大社の表参道の左右の里坊地帯には、美しい代表的な遺構がみいだせます。
その特徴は、加工しない自然なままの石面を巧みに用いて石積みの面を構成し、特にコーナーの整理された自然な美しさと堅固さにあります。
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戦国時代の時期に、土塁から石垣に変わっていったのでしょう。
佐々木譲の作品で「天下城」という小説がありました。
安土桃山時代に生きた、無名の、しかも裏方的な主人公の作品です。
数年前に読んだこの小説が坂本の町に残る石垣を見て思い出しました。
訪問日:2020年2月11日(火・祝)
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