京都・寂光院

 今回は、京都・大原の寂光院です。

寂光院といえば、建礼門院徳子ですね。

平清盛の娘で、高倉天皇中宮となり、安徳天皇の母なる人です。

ご存知のとおり、壇ノ浦で幼くして入水した安徳天皇と平家一門の菩提を弔い、終生この地で過ごされたのですね。

 

盆地のような大原の中でも、山の中に入っていったところに寂光院はあります。

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入り口から階段を登っていくと山門が見えてきました。

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こちらが山門となります。

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寂れた感じが悲劇を感じさせてくれます。

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山門をくぐるとすぐに本堂が見えます。

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境内の大きさも小さいなと思いました。

そして本堂も小さくきらびやかさは感じられません。

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この本堂も2000年5月に放火で焼け落ちたとのこと。

全く知りませんでした。

その時の本尊が大きく損傷し、今は新たに復元された本尊が安置されているそうです。

 

焼け焦げた本尊を写真で見ましたが、本当に無惨な状態ですごく悲しい気分になりました。

(ネットでも探すと出てきますよ。) 

 

草木の中に佇んでいるようなお寺です。

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山門と本堂の間の境内の脇に「諸行無常の鐘」という鐘堂があります。

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こちらは茶室があるところになります。

残念ながら、立ち入ることはできません。

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寂光院聖徳太子が創建したとのことです。

それが真実かどうかは置いといて、代々高貴な家門の方々が住職を務める尼寺だったそうです。

 

寂光院がある場所は、大原の僅かな平地から山に入ったところにあります。

菩提を弔うにはこの上ない場所ですかね。

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まさしく里山ですね。

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寂光院がある大原は、京都駅から20kmくらい北に位置してます。

若い頃読んだ川端康成の「古都」の中で姉妹が京都の町と大原(記憶違いでしたらすいません)に別れ別れに育っていたことを思い出しました。

 

地図で見ると京都のすぐ近くのように思えていました。

でも、京都の町中から10km以上というと車も無い時代は相当な時間をかけて行くような場所だったのかも知れません。

 

それに今はトンネルなど整備された道路ですけど、昔は曲がりくねった道だったのでしょうから、徒歩では時間がかかったのでしょうね。

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京都の町中が50mほどの標高ですが、大原は200〜250mくらい。

寒さも厳しかったのでしょうかね。 

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歴史に翻弄された女性、社会から距離を置きたくなったときに住む場所。

自然の移ろいが強く感じられる大原は京都の町には大事な場所だったのかも知れませんね。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

訪問日:2020年10月30日(金)

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