『養老先生、病気に行く』

ニュースかどなたかのツイートで『養老先生、病院に行く』という本を知りました。

早速本を買って読みました。

凄く考えさせられました。

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病院嫌いの養老先生。

その養老先生から、東大病院の中川先生にメールが来たのです。

身体の不調が続き奥様からも病院に行くようにすすめられ、本人も身体の声が訴えていたのです。

診察に来た養老先生は検査の結果、無痛の心筋梗塞でその場で入院・手術。

あと数日遅れていたらという状態だったようです。

 

ただの病院嫌いではなく、医師でもある養老先生の病院嫌い。

現在の医療は、人間の身体ではなく、身体のデータから病い診る。

そして、治療は病名毎のガイドラインに沿って、生きて来たこれまでとか関係なく一律に行われる。

一度、病院に入ると現在の医療システムに取り込まれてしまう。

野良猫が家猫にならざるを得ない。

 

養老先生はそういうこと言っていました。

 

私を含めた社会の思考回路に大きな課題を投げかけられました。

身体ではなく、身体のデータを以ってみる!

そうですね、人間一人ひとり違うのです。また、その土地土地でも違うのです。

不動産や商業に関わっている私も人間や地域でなはなく、データを見ているのでは無いかと。

 

物理学者や数学者と違い、論理を積み上げて答えを導き出す頭の良さは私にはありません。

結局、データを多く集め、そのデータが示すのはこういうことかなと帰納法的にしか考えられないのです。

この方法を否定はしません。

でも、心を持った人間の存在を決して忘れてはいけないなと思いました。

 

それに養老先生が飼っていた猫のまるちゃん。

まるちゃんも病気を患い死んでしまいます。

 

人間は、痛みを伴うこともある治療を現在受けることで将来の時間を獲得しているとのこと。

言われてみるとその通りですよね。

脳で考えるから時間という概念が生まれ、過去だとか将来だとかを考える。

猫はそういうことはしないですよね。

 

一つ確かなことは、今、自分は何をしたいのか?と考えて今を生きるってことですね。

養老先生、病院へ行く

養老先生、病院へ行く